about
フランスの植民地「ヌーヴェル・フランス」
カナダ東部のケベックは、1608年にフランスの探検家サミュエル・ド・シャンプランが丸太造りの砦を築いたことに始まる、北米で唯一城塞が保存されている都市です。当時、イギリスとフランスは北米における植民地建設をめぐって争っており、ケベックはフランスの植民地「ヌーヴェル・フランス(新しいフランス)」の要衝として建設されました。その後、ケベックはイギリス領となりましたが、街にはフランス文化の香りが色濃く残りました。1774年にはイギリスによってケベック法が制定され、フランスの民法の効力、信仰の自由、そしてフランス語の使用が認められています。
アッパー・タウンとロウアー・タウンから成る街
ケベック旧市街の歴史地区は、約1.35㎢の市街地で構成され、アッパー・タウン(上の街)とロウアー・タウン(下の街)の2つに分かれています。アッパー・タウンは、セント・ローレンス川に臨むディアマン岬の頂上に位置し、行政および宗教の中心地です。ラ・シタデル(要塞)、ドーフィヌの小砦、修道院、教会堂などが残されており、城壁によって囲まれています。一方、ロウアー・タウンは、ロワイヤル広場と港の周囲に広がる商業・住居・海軍施設などが存在する地域であり、ケベック最古の地区もこのロウアー・タウンに残っています。保存状態の良好なこの歴史地区は、要塞化された植民地都市の優れた例です。
ケベックのランドマーク「シャトー・フロントナック」
ケベックのアッパー・タウンには、かつて歴代総督の邸宅が存在しましたが、現在ではシャトー・フロントナックがその場所にそびえています。この古城風のホテルは1892年に、カナダ太平洋鉄道の総師であり「鉄路の皇帝」と称されたウィリアム・ヴァン・ホーンによって建設されました。彼はカナダ初の大陸横断鉄道の建設を指揮し、難所とされたカナディアン・ロッキーをも開通させ、1885年に予定の半分の期間で鉄道を完成させました。1888年にはバンフ国立公園に古城風のホテルを建設し、観光地化に成功しました。続いて、ケベックの観光地化を目的に、1892年にシャトー・フロントナックを建設したのです。ホテル名はヌーヴェル・フランス時代の総督、フロントナック伯爵に由来しています。設計はアメリカ人建築家が担当し、塔と緑青色の屋根を持つ外観は、ルネサンス期のフランスの城館建築を模しているとされています。かつて植民地支配をめぐる戦いの舞台であったこの地に建てられた観光ホテルは、平和の到来を象徴する存在となりました。
アクセス
日本から直行便のあるモントリオールで国内線に乗り継ぎ、空路約40分。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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日本から直行便のあるモントリオールで国内線に乗り継ぎ、空路約40分。
執筆協力者PROFILE
國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。
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