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世界の七不思議のひとつも存在した歴史ある島
エーゲ海のトルコ沖約20kmに位置するロドス島は、淡路島の2倍程の面積を有する島です。その歴史は長く、紀元前1000年頃には人々が暮らし始めていたとされます。古代ギリシャ時代には「世界の七不思議」のひとつ、太陽神ヘリオスの巨像がつくられたと言われていますが、紀元前227年の大地震で倒壊し現存していません。紀元前42年にはローマに征服されて衰退しましたが、14世紀にエルサレムから逃れてきた聖ヨハネ騎士団(ホスピタル騎士団)がこの地に要塞都市を築いたことで再び脚光を浴びました。現在、世界遺産に登録されているのは、全長4kmの城壁に囲まれたこの中世都市です。
ヨハネ騎士団の活躍
1291年、アッコの陥落によりパレスチナを追われた聖ヨハネ騎士団は、1309年にロドス島に辿り着き、イスラム勢力に備えて堅固な要塞を築きました。全長4kmの城壁に囲まれた都市には11の門が置かれ、内部は北側の高台の町(コッラキウム)と、南南西側の下町に分かれていました。コッラキウムは騎士団によって新しく築かれた街で、東西を騎士団通りと呼ばれる通りが市街を走っています。騎士団は言語ごとに7つの軍団に分かれており、それぞれが暮らしていたゴシック様式の館が、この騎士団通りの両側に並んでいます。コッラキウムの北西にある「騎士団長の宮殿」は現在も残る代表的建築物で、内部にはレプリカの「ラオコーン像」の展示室もあります(オリジナルはヴァチカン美術館所蔵)。当初騎士団は病院経営によるキリスト教巡礼者の保護なども行っており、彼らの活動によってロドス島は再び繁栄を迎えました。
ロドス島の陥落
ロドス島の要塞都市は、1444年のエジプト軍や、1480年のオスマン帝国のメフメト2世の攻撃を退け、難攻不落かのように思われました。しかし、1522年にスレイマン1世率いる10万の軍勢が島を6ヵ月にわたり包囲し、ロドス島は陥落。騎士団はマルタへと敗走しました。オスマン帝国の支配下では、島内の多くの建物がモスクに転用されましたが、下町地区ではゴシック建築とモスクやハマム(公衆浴場)などのイスラム建築が混在する景観が残ります。なお、騎士団はマルタ騎士団と名を変えて、現在は本部ローマを拠点に置く主権実体として、医療や人道支援活動に従事しています。
アクセス
アテネ空港からロドス空港へ飛行機で1時間。ロドス空港からバスで20分。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
アクセス
アテネ空港からロドス空港へ飛行機で1時間。ロドス空港からバスで20分。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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