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周囲は海流が激しく、流刑地や隔離施設として用いられる
南アフリカ南部、ケープタウンの沖合に浮かぶロベン島は、今でこそ島全体が博物館になり、観光客が日々訪れていますが、1991年までは監獄として使われていました。この島には、人種差別や人権抑圧に抵抗し、民主主義と自由のために闘った歴史を伝える建造物が残っています。周囲の海流が激しく、自力で脱出することは困難であったため、17世紀頃、オランダやイギリスの植民地時代から流刑地として使われていました。また、時代によって、ハンセン病患者の隔離施設や精神病院、さらには国防訓練基地としても用いられてきました。
分離を意味するアパルトヘイトが法制化
1948年、南アフリカでは白人による国民党が政権を握り、アパルトヘイトが法制化されました。南アフリカの公用語であるアフリカーンス語で、分離や隔離を意味するアパルトヘイト政策は、有色人種から参政権を剥奪し、各人種の居住地も限定し、白人と有色人種の婚姻を禁じました。この人種差別政策は国際社会から強い非難を浴びますが、ロベン島は、アパルトヘイトに反対する政治犯を収監する刑務所として使用されることになります。囚人たちが直面した状況は過酷そのものでした。家族との接触も禁じられ、年に一度、30分の面会と、2通の手紙のやりとりだけに制限されていたと言われています。
狭い独房でも新しい国への希望を誓ったマンデラ
ロベン島が刑務所として使用されていた32年間、アパルトヘイトに抗議した黒人活動家や白人の軍人犯罪者、のべ約3,000人が獄につながれていました。ここで最も有名な囚人だったのが、後に南アフリカ初の黒人大統領に選出されたネルソン・マンデラです。彼は政治犯としての約27年の投獄生活のうち、約18年間をこの島で過ごしました。2メートル四方の狭い独房には、就寝用のマットとトイレ代わりのバケツだけでした。そのような投獄生活にあっても、マンデラは同じ志をもつ仲間と新しい南アフリカへの希望を誓いました。
アクセス
ケープタウンのV&Aウォーターフロントにあるネルソン・マンデラ・ゲートウェイからフェリーを利用。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
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ケープタウンのV&Aウォーターフロントにあるネルソン・マンデラ・ゲートウェイからフェリーを利用。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
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