ローマの歴史地区と教皇領、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂
ローマ市民のための広場「フォロ・ロマーノ」

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : イタリア共和国, ヴァティカン市国 所在地 : Province of Roma, Lazio region (IT) / Vatican City State (VA) 分類 : 文化遺産 登録年 : 1980年 範囲変更年 : 2015,2023年 範囲拡大年 : 1990年 登録基準 : (i) (ii) (iii) (iv) (vi) 遺産の面積 : 14.697㎢ バッファ・ゾーン : 71.58933㎢ 座標 : N41 53 24.8 E12 29 32.3

about

2つの顔を持つ古都

ローマは、「ローマの七丘」のひとつパラティーノの丘で紀元前753年に建国されたと伝わります。その後、共和政を経て、地中海沿岸から西アジア、グレートブリテン島南部までを支配する大帝国となりました。しかし、拡大しすぎた繁栄はやはり終わりを迎えます。395年にローマ帝国が東西に分割すると次第に都市としてのローマの重要性は薄れていきました。再び脚光を浴びるのはローマ教皇領としてルネサンスの中心地のひとつとなってからのことです。強大な力をもつ教皇の下、ミケランジェロなどの芸術家が活躍し、芸術の都として教皇の威光を示しました。世界遺産には、教皇ウルバヌス8世が築いた城壁の内部と、唯一城壁の外にあるサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ聖堂を含む、サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ聖堂の3つのヴァティカン市国直轄の聖堂も含まれています。

土木技術に優れたローマ帝国

古代ローマ人というのは、土木技術に長けた人々でした。彼らは各地を征服して植民都市を築くたびに、アーチ構造やローマン・コンクリートなどの技術を用いて建造物や水路などの社会インフラを作り上げ、今もヨーロッパの主要な都市の礎となっています。そうした建造物が最も多く残されているのが、都であったローマです。市内には、凱旋門やコロッセウム、パンテオン、フォロ・フォマーノ、カラカラ浴場、水道橋、下水道「クロアカ・マキシマ」などがあり、歴史が現在につながっていると実感することができます。

リサイクル都市ローマ

ローマは15世紀中ごろに教皇領として再び力を取り戻すと、16世紀初頭にはミケランジェロやブラマンテなどがサン・ピエトロ大聖堂の再建に携わるなど、キリスト教カトリックの中心都市としての姿を整えていきます。16世紀末にはベルニーニなどが活躍してバロック様式での都市整備も行われ、現在につながるローマの景観が作られました。そうした中で活用されたのが、古代ローマからローマ帝国時代の建造物です。ローマ浴場を改築してサンタ・マリア・デッリ・アンジェリ教会にし、霊廟を改築してサンタンジェロ城にし、パンテオン(万神殿)をキリスト教の聖堂に流用しました。一方で改築しにくいコロッセウムなどは「石切り場」として使用され、ヴァティカン市国のサン・ピエトロ大聖堂などの建築の際に石が使われました。

アクセス

日本から飛行機で約13時間。フィウミチーノ空港から市内まで鉄道だと約30分、バスで約50分。

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。

Trivia

オオカミに育てられた双子が築いたローマの建国神話

ローマにはオオカミに育てられた双子の兄弟ロムルスとレムスにまつわる建国神話があります。双子の大叔父にあたるアムリウスは王である兄ヌミトルから王位を奪うと、ヌミトルの子孫が生まれないようにヌミトルの娘を女神ウェスタに仕える巫女にしました。しかし、美しい彼女を見初めた軍神マルスは、水を汲みにきた彼女と交わり双子の子供が生まれました。慌てたアムリウスは生まれたばかりの双子をテヴェレ川に流して殺そうとしますが、双子は川の精霊に助けられ、オオカミの乳で立派に成長しました。逞しい青年になったロムルスとレムスは、大叔父アムリウスを討って復讐を果たし、兄のロムルスがローマを建国しました。

オオカミに育てられた双子が築いたローマの建国神話

Properties

Colosseum
暴君として知られたローマ帝国皇帝ネロが68年に帝位を追われた後、ローマは内戦状態にありました。69年に皇帝となったウェスパシアヌスは、ローマ市民の不満のはけ口となる娯楽の場を与える意味もあり、ネロ帝の宮殿「ドムス・アウレア」の庭園跡地に新しい円形闘技場の建設を決めます。70年から始まった円形闘技場の建設は、次の皇帝ティトゥスの時代まで続き、80年に完成しました。当初は、ウェスパシアヌス帝が開いたフラウィウス朝に因んで「フラウィウス円形闘技場」と呼ばれていました。しかし、円形闘技場の近くにネロ帝の巨大なブロンズ像「コロッセオ・ディ・ネローネ(ネロの巨像)」が立っていたことから、いつからか「コロッセウム」と呼ばれるようになりました。ネロ帝は暴君として知られますが、一部の市民からは死後も根強い人気があったそうです。
Foro Romano
「ローマ市民の広場」という名前のフォロ・ロマーノは、パラティーノの丘とカピトリーノの丘、コロッセウム、フォーリ・インペリアーリ通りに囲まれた広場で、古代ローマからローマ帝国にかけて政治や文化、宗教、経済の中心地でした。古代ローマでは都市の中心にそうした広場が作られるのが普通で、フォロ・ロマーノはローマで最初に作られた広場と考えられています。ローマ市民たちは、フォロ・ロマーノで政治家の演説を聞いたり、凱旋パレードを見たり、集会を開いたりしていました。中心を通る「聖なる道(ヴィア・サクラ)」は、パラティーノの丘とカピトリーノの丘を結ぶ道で、その周囲には多くの神殿が築かれました。またヴィア・サクラの「ティトゥスの凱旋門」から「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」までは皇帝たちの凱旋パレードにも使われました。
Pantheon
パンテオンはもともと、紀元前27年にアグリッパが建設した、全ての神々を祀る「万神殿」でした。80年と110年の火災で焼失してしまいましたが、128年にハドリアヌス帝によって再建されました。ファサード(建物正面)はギリシャ神殿を思わせるような八柱式の作りですが、建物はローマン・コンクリートで作られたロトンダと呼ばれる円堂の上に、ローマ建築の特徴であるドーム天井が載っています。そしてそのドーム天井の中心には、ラテン語で「目」を意味するオクルスと呼ばれる円形の窓が開いていて、そこから美しく光りが堂内に差し込みます。
Campidoglio
ローマの七丘の1つであるカンピドーリオの丘には、イタリアを代表する広場の1つであるカンピドーリオ広場があります。世界で最も美しい広場とも称されるこの広場は、16世紀前半にミケランジェロ・ブオナローティによって設計されたものです。ローマの都市再開発の一環として設計され、広場の正面の石段の延長線上に、ヴァティカン市国のサン・ピエトロ大聖堂が来るように配置が工夫されています。広場はヌオーヴォ宮殿(現在のカピトリーノ美術館)とセナトリオ宮殿(現在の市庁舎)、コンセルヴァトーリ宮殿に囲まれており、ミケランジェロがデザインした特徴的な舗装は、通貨ユーロの50セントコインのデザインにも採用されています。
Basilica di San Paolo fuori le mura
「アウレリアヌスの城壁」の外側、約2kmに位置する「城壁の外の聖パウロ聖堂」という名の聖堂で、ヴァティカン市国に属します。もともとの聖堂はコンスタンティヌス帝によって330年頃に建てられましたが、多くの巡礼者が訪れるには小さすぎたため、テオドシウス1世とウァレンティニアヌス2世、アルカディウスの3人の皇帝によって380年頃に再建されました。聖パウロが埋葬された場所に建てられており、墓は教皇の祭壇の下にあります。聖パウロは、聖ペテロと共に、ローマの大火の後のネロ帝の迫害によって殉教しました。

遺産DATA

所在地 : Province of Roma, Lazio region (IT) / Vatican City State (VA)
分類 : 文化遺産
登録年 : 1980年
範囲変更年 : 2015,2023年
範囲拡大年 : 1990年
登録基準 : (i) (ii) (iii) (iv) (vi)
遺産の面積 : 14.697㎢
バッファ・ゾーン : 71.58933㎢
座標 :N41 53 24.8 E12 29 32.3

アクセス

日本から飛行機で約13時間。フィウミチーノ空港から市内まで鉄道だと約30分、バスで約50分。

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。