フォロ・ロマーノ
ローマの人々の政治・文化の中心地であった

「聖なる道」を中心に遺跡が並ぶ

「ローマ市民の広場」という名前のフォロ・ロマーノは、パラティーノの丘とカピトリーノの丘、コロッセウム、フォーリ・インペリアーリ通りに囲まれた広場で、古代ローマからローマ帝国にかけて政治や文化、宗教、経済の中心地でした。古代ローマでは都市の中心にそうした広場が作られるのが普通で、フォロ・ロマーノはローマで最初に作られた広場と考えられています。ローマ市民たちは、フォロ・ロマーノで政治家の演説を聞いたり、凱旋パレードを見たり、集会を開いたりしていました。中心を通る「聖なる道(ヴィア・サクラ)」は、パラティーノの丘とカピトリーノの丘を結ぶ道で、その周囲には多くの神殿が築かれました。またヴィア・サクラの「ティトゥスの凱旋門」から「セプティミウス・セウェルスの凱旋門」までは皇帝たちの凱旋パレードにも使われました。

カエサルの遺志を受け継いだ皇帝アウグストゥス

古代ローマのレンガ造りの建物が並ぶ地味な広場を、強大なローマにふさわしいものへと改造に乗り出したのはユリウス・カエサルでした。しかし、彼が志半ばで暗殺されると、その後に初代皇帝となったアウグストゥスがその遺志を受け継ぎ、カエサルを讃えるユリウス神殿を築いた他、レギア(王宮)やロストラ(演説台)などを再建しました。その後も皇帝たちによって増築が続けられ、ヴィア・サクラの周囲にはユリウス神殿や、炉とかまどの女神ヴェスタを祀るヴェスタ神殿、ヴェスタの聖なる火を守る巫女たちの家、司法や行政の場であったバシリカ・ユリア、ウェヌスとローマの神殿などが立ち並ぶ豪華な広場になりました。しかし、ローマ帝国が勢いを失うとフォロ・ロマーノも略奪にあい、廃墟となってしまいました。本格的な考古学的調査が始まったのは、19世紀末のことでした。

巫女たちの家
ヴェスタ神殿の聖なる火を守る巫女たちが暮らした「巫女たちの家」(Ⓒtynrud/AdobeStock)

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。

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宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。