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金の発見から鉱山産業の発展、そして閉山へ
『佐渡島の金山』は、新潟県佐渡島にある日本最大級の金銀山の採掘遺跡です。1601年に金が発見されると、1603年の江戸幕府の成立後には佐渡奉行が置かれ、佐渡は幕府の直轄地として統治されました。17世紀前半の最盛期には年間約400kgもの金が採れたとされています。金山の周辺には、鉱山で働く人々の町が形成され、独自の文化や生活が発展しました。明治以降は近代化が進み、昭和に入っても金の採掘が続けられましたが、1989年に閉山されました。
世界が注目した鉱山の技術
17世紀から20世紀まで続いた術鉱山技術は時代とともに少しずつ変化していきます。初期には手掘りや水を使った選鉱が行われていましたが、江戸時代には地下水をくみ上げる排水ポンプなどの高度な技術が使われました。さらに明治時代になると、西洋の近代技術も取り入れられ、大規模な機械による採掘が可能になりました。また、技術だけでなく、労働者の住環境や鉱山町のしくみも一体的に保存されており、産業遺産としての価値が高く評価されています。
ふたつの鉱山から見える多様な価値
『佐渡島の金山』は、「西三川砂金山」と「相川鶴子金銀山」という、特徴の異なる2つの鉱山エリアで構成されています。西三川では、砂金を含んだ山を掘り崩し、水で余分な土砂を洗い流しながら、金をより分ける大流しという技術が用いられました。この作業には大量の水が必要であったため、周辺には複数の水路が設置されました。一方、相川では地下に眠る鉱脈を人力で掘り進め、金や銀を採取する坑道掘りが行われました。道遊の割戸(どうゆうのわりと)と呼ばれる巨大なV字型の露頭掘り跡は、江戸時代の人々がツルハシで岩山を割って進んだ名残であり、そのスケールには圧倒されます。このように、2つの鉱山は地形や資源に応じて異なる方法で金銀を採掘しており、それぞれに独自の技術的工夫と人々の営みがありました。
アクセス
新潟港から両津港までジェットフォイル(高速船)で約1時間、両津港から佐渡金山までは車で約1時間。
執筆協力者PROFILE
世界遺産をテーマに、文化・歴史・自然の魅力を多角的に伝えるPodcast番組を展開。遺産の価値に加え、現代に通じる暮らしの哲学や自然共生の視点を取り入れた発信を行う。大学や世界遺産関連施設での講演・イベント出演のほか、2025年大阪・関西万博での登壇も経験。
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新潟港から両津港までジェットフォイル(高速船)で約1時間、両津港から佐渡金山までは車で約1時間。
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世界遺産をテーマに、文化・歴史・自然の魅力を多角的に伝えるPodcast番組を展開。遺産の価値に加え、現代に通じる暮らしの哲学や自然共生の視点を取り入れた発信を行う。大学や世界遺産関連施設での講演・イベント出演のほか、2025年大阪・関西万博での登壇も経験。
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