about
ヨーロッパの文化を取り入れたロシアの水の都
ロシアの西にある大都市サンクト・ペテルブルクは、バロック建築や新古典主義建築などの文化や芸術を取り入れた、モスクワに次ぐロシア第二の都市です。1918年まではロシアの首都として機能していました。サンクト・ペテルブルクの名は、ドイツ語で「聖ペテロの街」を意味し、ピョートル大帝の名前にも意味がかけられています。第一次世界大戦時にはロシア語風の「ペテログラード」と呼ばれ、ロシア革命後は「レニングラード」と名を変えました。ソ連崩壊前後に再びサンクト・ペテルブルクとなった歴史があります。同じロシアのオデッサ(オデーサ)やセヴァストポリもサンクト・ペテルブルクにならった街づくりが行われました。
サンクト・ペテルブルクにある建造物群
サンクト・ペテルブルクは、ピョートル大帝が北方戦争時に湿地帯に造りあげた「ペテロパヴロフスク要塞」が起源であり、その後フランス人建築家のアレクサンダー・ルブロンの設計のもと、宮殿や教会、修道院などが完成し、周辺の風景と家並みが調和する都市ができあがりました。ピョートル・バロックと呼ばれる様式のメンシコフ宮殿の他、郊外にはペテルゴフ宮殿やガッチナ宮殿などが建設されました。デカブリスト広場には青銅のピョートル大帝の騎馬像が立ち、宮殿広場の中央にはアレクサンドル記念円柱がそびえています。
エカチェリーナ2世とエルミタージュ美術館
サンクト・ペテルブルクのランドマーク的存在なのがベルトロメオ・ラストレリの傑作でもあるエルミタージュ美術館です。フランス語で「隠者の庵」の意味を持つエルミタージュ美術館は、18世紀後半にエカチェリーナ2世の即位後に建てられた、新古典主義建築の建造物です。エメラルドグリーンの外観が特徴的で、現在は世界三大美術館のひとつにも数えられる美術館となっています。このようにサンクト・ペテルブルクは歴史の中で壮麗なバロック建築と端正な新古典主義建築が一体化し、歴史ある景観を残す都市としての姿を今に残しています。
アクセス
モスクワからサンクト・ペテルブルクまで、飛行機で約1時間半。フィンランドの首都ヘルシンキからは、高速鉄道で3時間半程。
執筆協力者PROFILE
保育士の資格を取得後、2005年より児童関係の仕事に就く。仕事をしながら社会福祉士の資格を取得し、興味を持っていた世界遺産検定にも挑戦。世界遺産検定1級を複数回合格。現在は仕事と並行しながら保育や世界遺産を中心としたブログも執筆している。
アクセス
モスクワからサンクト・ペテルブルクまで、飛行機で約1時間半。フィンランドの首都ヘルシンキからは、高速鉄道で3時間半程。
執筆協力者PROFILE
保育士の資格を取得後、2005年より児童関係の仕事に就く。仕事をしながら社会福祉士の資格を取得し、興味を持っていた世界遺産検定にも挑戦。世界遺産検定1級を複数回合格。現在は仕事と並行しながら保育や世界遺産を中心としたブログも執筆している。
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