見どころDATA
600年にわたり増改築が繰り返された難攻不落の要塞
ザルツブルクは何世紀にもわたり大司教によって統治され、カトリック文化の中心地のひとつとして発展しました。この街のランドマークとも言えるホーエンザルツブルク城は、メンヒスベルクの丘にそそり立っています。11世紀に築かれてから、以後600年にもわたって増改築が繰り返され、長きにわたり難攻不落の要塞として存立していました。そもそも、この城の建設は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世による叙任権闘争が発端でした。1077年、有名な「カノッサの屈辱」を経て両者は和解へと向かいますが、教皇側についたザルツブルク大司教ゲープハルトは、皇帝側が報復をしてきたときの隠れ家として、同年、この城の建設に着手したのです。
包囲戦を1年間持ちこたえるための穀物倉庫も
要塞としての機能をもつヨーロッパの古城のなかでも、ホーエンザルツブルク城は屈指の規模を誇ります。建設当時はロマネスク様式の居館でしたが、16世紀には武器庫が建てられ、17世紀には大砲を設置するための強固な稜堡が築かれるなど、歴代の大司教によって軍備強化が重ねられてきました。その白い外観は見る人に堅牢で無骨な印象を与えます。激動の時代、ここは大司教にとっては避難所でもありました。この要塞内で最古の建造物のひとつに、穀物倉庫があります。穀物やワイン、肉などの食料品が備蓄され、万が一、敵に包囲された場合でも、最低1年は持ちこたえられるようになっていました。

「カブ」の紋章を持つ大司教が遺した、豪華絢爛な居室
この要塞の最上部には大司教の居室があります。広間や寝室などで構成され、壁や天井に金色の装飾が施された豪華絢爛な空間で、大司教たちが暮らした当時の調度品が今も残されています。特に「黄金の小部屋」の隅に設置されたマリョルカ焼き暖炉は、色鮮やかなタイルで金銀が塗り込められた後期ゴシック様式のもので、この城の見どころとなっています。それらをつくらせたのは、1495年に大司教になったレオンハルトです。歴代の大司教のなかでも、彼ほどこの城の佇まいに大きな影響を与えた人物はいないと言われています。レオンハルト大司教は農家の出身で、自身の紋章に野菜の「カブ」をあしらいました。この紋章は要塞内の53箇所で目にすることができます。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
見どころDATA
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。