文化交差路サマルカンド
「サマルカンド・ブルー」と言われる青色のタイルで彩られた建物が立ち並ぶ

遺産DATA

地域 : 西・南アジア 保有国 : ウズベキスタン共和国 所在地 : Samarkand Region 分類 : 文化遺産 登録年 : 2001年 登録基準 : (i) (ii) (iv) 遺産の面積 : 11.23㎢ バッファ・ゾーン : 13.69㎢ 座標 : N39 40 6.996 E67 0 0

about

チンギス・ハンが破壊し、ティムールが再興

紀元前から東西交易の要衝で中央アジア最古の都市で、紀元前7~8世紀にはソグド人の都市が築かれたと言います。サマルは「人々が出会う」、カンドは「街」という意味で、まさに世界の交差点ともいうべきところです。歴史的には3度破壊されています。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王が、8世紀にはアラブ人のイスラム勢力が、そして13世紀にはモンゴルのチンギス・ハンが攻め寄せてきました。特にモンゴル軍の破壊はすさまじく、住民はことごとく殺され、建物はほぼすべて破壊されたと伝わっています。今その場所は「アフラースィヤーブの丘」となり当時のものは何も残されていません。その後14世紀になってティムールがサマルカンドを帝国の都と定め、街の中心はアフラースィヤーブの丘から現在のレギスタン広場へと移りました。

青いタイルが美しい「青の都」の建築物群

ティムールは、帝国中から職人や芸術家、学者を集め、壮麗なモスクやマドラサを多数建設しました。ティムールは青色を好んだため、建造物には「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青色のタイルが多く使われました。しかし、栄華を極めたサマルカンドも、16世紀初頭のティムール朝崩壊や、海運の発達によるシルク・ロードの重要性の低下などで、次第に衰退していきます。やがて中央アジアの文化、経済の中枢としての地位を、ブハラに譲ることになりました。

サマルカンドの中心「レギスタン広場」

ティムールがサマルカンドを再興した際に、新たな街の中心となったのがレギスタン広場です。広場はウルグ・ベク・マドラサ(東側)、ティリャー・コリー・モスク・マドラサ(正面北側)、シェル・ドル・マドラサ(西側)という3つのマドラサ(イスラム神学校)に3方を囲まれています。ウルグ・ベク・マドラサは、ティムールの孫ウルグ・ベクによって1417年に建造されたマドラサで、ウルグ・ベク自身が天文学者であったため、入口のタイルは星型がモチーフとなっています。17世紀創建のティリャー・コリー・モスク・マドラサは、内部にモスクを備え、サマルカンドの主要な礼拝所となっていました。礼拝所の天井は金箔を3kgも使った壮麗なものです。同じく17世紀に完成したシェル・ドル・マドラサは、イスラム教のモスクとしては珍しく、獅子や人面の太陽が描かれています。

アクセス

東京からサマルカンドへの直行便はなく、タシュケントを経由して向かう。タシュケントからサマルカンドまでは、高速鉄道で約2時間。

執筆協力者PROFILE

細谷 正文
細谷 正文
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。

Properties

シャーヒ・ズィンダ建築群

シャーヒ・ズィンダ建築群

Shakhi-Zinda Ensemble

アフラースィヤーブの丘の南に位置。イスラムの霊廟が多く立ち並び、今も巡礼で訪れる人が多い。シャーヒ・ズィンダとは「よみがえる王」という意味で、7世紀のイスラム伝播の伝説から、この地が聖地となったと言われる。ティムールゆかりの人々が埋葬された廟やティムール以前の11世紀に造られた建造物など20以上が残っている。
ビビ・ハヌム建築群

ビビ・ハヌム建築群

Bibi-Khanum Ensemble

15世紀初頭にティムールによって建造された、当時は中央アジア最大級のモスク。ビビ・ハヌムとは「第一婦人」の意味で、ティムールの妃にちなんで名づけられている。四隅にミナレットを持ち、礼拝所が2つ置かれた豪華なモスクだったといわれる。ティムールの死後に廃墟となり、19世紀にはほぼ崩壊したが、20世紀後半から再建が始まった。
レギスタン広場建築群

レギスタン広場建築群

Registan Ensemble

レギスタンとは「砂地」という意味で、元はバザールなどが開かれた公共広場だった。ティムールの存命中はバザールだけが置かれ、現在の姿になったのは17世紀頃からと言われる。ウルグ・ベク・マドラサ、ティリャー・コリー・モスク・マドラサ、シェル・ドル・マドラサに3方を囲まれている。
グーリ・アミール建築群

グーリ・アミール建築群

Gur-Emir Ensemble

レギスタン広場の近くに位置する、ティムール一族が眠る霊廟。グーリ・アミールはペルシャ語で「王様のお墓」の意。15世紀初頭に完成。ティムールは故郷シャフリサブスに葬られることを望んでいたが、シャフリサブスまでの道が悪路であり、また彼の死を隠すため、ここに埋葬されたとされる。内部は壁一面に金色の装飾が施されている。

遺産DATA

所在地 : Samarkand Region
分類 : 文化遺産
登録年 : 2001年
登録基準 : (i) (ii) (iv)
遺産の面積 : 11.23㎢
バッファ・ゾーン : 13.69㎢
座標 :N39 40 6.996 E67 0 0

アクセス

東京からサマルカンドへの直行便はなく、タシュケントを経由して向かう。タシュケントからサマルカンドまでは、高速鉄道で約2時間。

執筆協力者PROFILE

細谷 正文
細谷 正文
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。