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チンギス・ハンが破壊し、ティムールが再興
紀元前から東西交易の要衝で中央アジア最古の都市で、紀元前7~8世紀にはソグド人の都市が築かれたと言います。サマルは「人々が出会う」、カンドは「街」という意味で、まさに世界の交差点ともいうべきところです。歴史的には3度破壊されています。紀元前4世紀にはアレクサンドロス大王が、8世紀にはアラブ人のイスラム勢力が、そして13世紀にはモンゴルのチンギス・ハンが攻め寄せてきました。特にモンゴル軍の破壊はすさまじく、住民はことごとく殺され、建物はほぼすべて破壊されたと伝わっています。今その場所は「アフラースィヤーブの丘」となり当時のものは何も残されていません。その後14世紀になってティムールがサマルカンドを帝国の都と定め、街の中心はアフラースィヤーブの丘から現在のレギスタン広場へと移りました。
青いタイルが美しい「青の都」の建築物群
ティムールは、帝国中から職人や芸術家、学者を集め、壮麗なモスクやマドラサを多数建設しました。ティムールは青色を好んだため、建造物には「サマルカンド・ブルー」と呼ばれる青色のタイルが多く使われました。しかし、栄華を極めたサマルカンドも、16世紀初頭のティムール朝崩壊や、海運の発達によるシルク・ロードの重要性の低下などで、次第に衰退していきます。やがて中央アジアの文化、経済の中枢としての地位を、ブハラに譲ることになりました。
サマルカンドの中心「レギスタン広場」
ティムールがサマルカンドを再興した際に、新たな街の中心となったのがレギスタン広場です。広場はウルグ・ベク・マドラサ(東側)、ティリャー・コリー・モスク・マドラサ(正面北側)、シェル・ドル・マドラサ(西側)という3つのマドラサ(イスラム神学校)に3方を囲まれています。ウルグ・ベク・マドラサは、ティムールの孫ウルグ・ベクによって1417年に建造されたマドラサで、ウルグ・ベク自身が天文学者であったため、入口のタイルは星型がモチーフとなっています。17世紀創建のティリャー・コリー・モスク・マドラサは、内部にモスクを備え、サマルカンドの主要な礼拝所となっていました。礼拝所の天井は金箔を3kgも使った壮麗なものです。同じく17世紀に完成したシェル・ドル・マドラサは、イスラム教のモスクとしては珍しく、獅子や人面の太陽が描かれています。
アクセス
東京からサマルカンドへの直行便はなく、タシュケントを経由して向かう。タシュケントからサマルカンドまでは、高速鉄道で約2時間。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
Properties
シャーヒ・ズィンダ建築群
Shakhi-Zinda Ensemble
ビビ・ハヌム建築群
Bibi-Khanum Ensemble
レギスタン広場建築群
Registan Ensemble
グーリ・アミール建築群
Gur-Emir Ensemble
アクセス
東京からサマルカンドへの直行便はなく、タシュケントを経由して向かう。タシュケントからサマルカンドまでは、高速鉄道で約2時間。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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