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東西交流を促進させた道
『シルク・ロード:長安から天山回廊の交易網』は、漢と唐の首都であった長安と洛陽から、中央アジアのカザフスタンとキルギスに至る、シルク・ロードの一部約5,000kmが登録されています。紀元前2世紀から紀元後1世紀にかけて形成されたこの交易路は、東西の複数の文明を結びつけ貿易や宗教、科学、技術、芸術など様々な文化交流を促進させ、16世紀まで利用されました。シルク・ロードでは都市から都市へとキャラバンが物資を運んで、そこから別のキャラバンが次の都市へ運ぶ中継交易が行われたため、東西の文化が互いに交流し広がっていきました。
シルク・ロードの3つのルート
シルク・ロードは大きく3つのルートがありました。最も古いルートは「草原の道」と呼ばれ、東欧のあたりから中央アジア北部やモンゴルの草原地帯を通って中国に至る道です。2つめは「オアシスの道」と呼ばれるルートで、現在のトルコのあたりからウズベキスタンのサマルカンドや天山山脈を越えて中国に至る道です。3つ目は「海の道」と呼ばれるルートで、中国南部の港からインドやアラビア半島へ至る海上の航路です。今回登録されたルートは2つ目の「オアシスの道」の一部で、19世紀のドイツの地理学者フェルディナント・フォン・リヒトホーフェンが名付けた「シルク・ロード」もこの「オアシスの道」のルートを指しています。
仏教文化とシルク・ロード
西の庫車(クチャ)から東の洛陽まで続く一連の仏塔と石窟寺院は、インドから東方へ仏教文化が伝わり、広まったことを示しています。この道は7世紀の唐の僧侶で『大唐西域記』の著者である玄奘が、経典の原典を求めてインドへ赴く際に通った道でもあります。彼の著書の中にはシルク・ロード上の国や都市の記述があります。また玄奘の遺骨が納められた興教寺塔や玄奘がインドから持ち帰った経典を納めた大雁塔も構成資産に含まれます。シルク・ロードは仏教の他にもゾロアスター教やマニ教、ネストリウス派キリスト教、イスラム教の東方伝播においても重要な役割を果たしました。
アクセス
執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
Properties
漢魏洛陽故城遺跡
Luoyang City Site
張騫墓
Zhang Qian Tomb
キジル石窟
Kizil Cave Temple
スイアブ(アク・ベシム遺跡)
Suyab / Ak-Beshim
コストベ
Kostobe
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執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
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