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ムガル帝国の皇帝が愛する妃に捧げた白亜の霊廟
近世のインドを支配したムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンは、戦地に帯同していた際に産褥熱で亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのために、古都アーグラに霊廟を建設しました。ムムターズ・マハルという名は「宮廷の光」という意味で、皇帝が美しい妃に贈った名です。建設は1631年に始まり、1648年に完成しました。ガンジス川の支流のひとつヤムナー川の南岸、広さ17万㎡の長方形の敷地に完成した霊廟は、総白大理石の壮大なもので、高さ5.5mの基壇の上に幅65m・高さ58mの八角形の廟本体があり、四隅には高さ43mの4本のミナレットが立っています。また、廟をはさんで両側に赤砂岩造りのモスク(西側)と集会所(東側)が建てられており、その赤砂岩の赤、空の青さ、前庭の芝生や植物の緑の中に真っ白な廟が美しく映え、その色のコントラストはまさにコーランの「天上世界」を思わせるものです。
インド、ペルシャ、イスラムの建築様式が融合
この霊廟の建設にあたっては、建設材料はインド国内だけでなくペルシアやアラビアからも運ばれ、職人はアラブやヨーロッパからも集められたといいます。ここでは常にいろいろな地から来た2万人もの人が建設に携わっていました。廟本体はイスラムの建築様式をベースにインドの伝統的な様式を融合したもので、前後左右4面にはイーワーンと呼ばれるペルシア伝統の尖頭型の開放式のホールが設けられています。また、廟の内部には繊細なアラベスク模様の装飾が施され、外壁にはコーランのカリグラフィー(装飾文字)が彫られています。廟の前に広がる庭園は、水路で東西南北にそれぞれ2分割されたペルシア式のチャハル・バーグ(四分庭園)です。廟の両側に立つ赤いモスクと集会所と合わせ、この霊廟全体が美しい左右対称(シンメトリー)となっています。
幻となった対岸の黒大理石の霊廟
皇帝シャー・ジャハーンは川の対岸に自らのための廟を黒大理石で造り、それをタージ・マハルと橋で結ぼうという計画を持っていました。しかし、息子のアウラングゼーブが第6代皇帝として即位すると、息子と対立していたシャー・ジャハーンは、アーグラ城の一室に幽閉されたまま亡くなり、その夢は叶いませんでした。晩年のシャー・ジャハーンは幽閉されていた部屋から遠くに見えるタージ・マハルを眺めて過ごしていたと伝わります。彼は愛妃をなくしてから35年後に亡くなり、愛妃の隣に埋葬されました。現在、廟の中央には愛妃の墓石とならんで彼の墓石が置かれています。
アクセス
アーグラは首都デリーから南へ200㎞、特急列車で約2時間でアーグラ・カント駅へ、そこからタージ・マハルまではオート・リキシャ(バイクのタクシー)が便利。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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アーグラは首都デリーから南へ200㎞、特急列車で約2時間でアーグラ・カント駅へ、そこからタージ・マハルまではオート・リキシャ(バイクのタクシー)が便利。
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早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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