古代都市テーベと墓地遺跡
カルナク神殿の柱にはヒエログリフが刻まれている

遺産DATA

地域 : アフリカ 保有国 : エジプト・アラブ共和国 所在地 : Governorate of Qina 分類 : 文化遺産 登録年 : 1979年 登録基準 : (i) (iii) (vi) 遺産の面積 : 73.9016㎢ バッファ・ゾーン : 4.4355㎢ 座標 : N25 43 08 E32 39 26.1(カルナク神殿)

about

エジプト新王国時代のナイル川東岸の神殿群

古代エジプトには古王国時代・中王国時代・新王国時代と呼ばれる3度の繁栄期があります。中王国時代には、テーベが初めてエジプトの都となり、テーベの地方神であるアメン神をまつるカルナク神殿の造営が始まります。新王国時代にはおよそ5,000㎡の大列柱広間が完成し、カルナク神殿は古代エジプトにおいて最大規模を誇る神殿となります。新王国と都テーベの繁栄に伴って、アメン神はエジプト全土の主神として信仰されるようになり、アメン神と太陽神ラーを結び付けたアメン・ラー信仰が盛んになりました。副神殿のルクソール神殿が建設されたのも新王国時代です。

新王国の王族の墓地と葬祭殿である「死者の都」

エジプト王族の墓といえばピラミッドを思い浮かべる人が多いと思いますが、ピラミッドが盛んに建設されたのは古王国時代です。新王国時代のファラオ(王)たちは、ピラミッドではなく岩窟墓所を築きました。ツタンカーメンの墓をはじめとする60もの墓が発見されたのがナイル川西岸の岩山にある「王家の谷」です。また、ハトシェプスト女王やラメセス2世といった巨大な富を持ったファラオたちは、墓地とは別に葬祭殿も築いており、それらの遺跡が現在まで残されています。

アクセス

カイロ国際空港からルクソール国際空港まで約1時間のフライト。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に囲まれた和歌山県で生まれ育つ。大学在学中に「ふるさとと世界をつなげたい」と決意し、自治体の国際交流について研究。現在公立高校の地理歴史・公民科教諭。一児の母でもあり、結婚式や子の七五三も故郷の世界遺産で行った。

Properties

Karnak Temple
現在のルクソールは、古代エジプトではテーベと呼ばれており、中王国時代(紀元前2040年頃~前18世紀頃)と新王国時代(紀元前1550年頃~前1070年頃)における都となりました。そのテーベにたたずむエジプト最大の神殿がカルナク神殿です。中王国時代に建設がはじまり、新王国時代には歴代の王が大規模な石像や列柱を神殿に寄進して、拡張していきました。カルナク神殿はテーベの守護神であるアメン神、その妻ムト女神、ハヤブサの神であるメンチュ神を祀った三つの神域と、プタハ神などのその他の神に捧げられた小神殿からなる神殿複合体です。
Luxor Temple
ルクソール神殿は、エジプト最大の神殿であるカルナク神殿に付属する副神殿です。カルナク神殿の南西約3kmに位置しています。副神殿でありながら、重要な祭礼の舞台でもあり、「南の聖域」を意味する「イペト・レスィト」と呼ばれていました。神殿は、新王国時代のアメンホテプ3世(在位:紀元前1390年頃~前1352年頃)により造営され、その後ラメセス2世(在位:紀元前1279年頃~前1213 年頃)により大改築が行われました。第一塔門には、ラメセス2世が築いた高さ25mの巨大なオベリスクが立っています。元々は2本ありましたが、現地に残るのは1本のみです。もう1本は19世紀にフランスに贈られ、現在も遥か遠くのパリのコンコルド広場に存在しています。神殿内にはアメンホテプ3世やラメセス2世の中庭、大列柱廊などがあります。「誕生の間」には、アメンホテプ3世が、トトメス4世(在位:紀元前1400年頃~1390年頃)に変装したアメン・ラー神から誕生したという内容のレリーフが刻まれており、自らの権威を示すものとなっています。神殿は、古代ローマ帝国時代には皇帝崇拝の礼拝堂が築かれ、レリーフの上にフレスコ画が描かれました。また、イスラム教が興ってからはモスクとしても利用されました。
The Temple of Ramses II(The Ramesseum)
ナイル川西岸にあるラメセス2世葬祭殿は、新王国時代の第19王朝のファラオ・ラメセス2世が建設した葬祭殿です。ラメセス2世は紀元前1279年頃に即位し、90歳を超えるまで約70年にもわたってエジプトを統治しました。この葬祭殿の建築に必要とした労働者は約3,000人以上と言われており、着工から約20年で完成したと言われています。葬祭殿は、王の葬祭だけでなく生前の儀式にも使われていたと考えられています。ヒエログリフを解読したことでも知られる、フランスの古代エジプト学者シャンポリオンは、ラメセス2世葬祭殿を「ラメセウム」と呼び、「テーベで最も高貴にして典雅な建物」と称えました。今でもその威厳ある葬祭殿を拝むことができます。
Hatshepsut Temple
ナイル川西岸にあるハトシェプスト女王葬祭殿は、新王国時代第18王朝のハトシェプスト女王(在位:紀元前1473年頃~前1458年頃)が治世7年目から約15年かけてつくった葬祭殿です。ハトシェプスト女王は、王家の谷に初めて墓を築いたトトメス1世の娘であり、トトメス2世の妃でもありました。彼女は夫の死後、トトメス3世の摂政となるのですが、やがて自らをファラオと名乗り、約20年間にわたってエジプトを支配しました。古代エジプトでは、「ファラオは男性がなるもの」という伝統があったので、これは極めて異例の事態でした。そこで、彼女は公の場に出るときは顎髭をつけたりして、男装をしていたと言われています。彼女の死後、トトメス3世は積年の恨みを晴らすため、葬祭殿にあった男装の女王の立像を破壊し、女王にまつわるレリーフを削ったと言われています。キリスト教が伝わると葬祭殿はコプト教の修道院として利用され、現在一帯はアラビア語で「北の修道院」を意味する「デイル・エル・バハリ」と呼ばれています。
Valley of the Kings
古代エジプトの人々は、ナイル川の東岸を「生者の都」とし、西岸を「死者の都(ネクロポリス)」と考えていました。その西岸に王たちが墓を造るようになったのは紀元前1520年頃のことなのですが、過去にピラミッドで盗掘が目立ったこともあり、その建設は当初、秘密裏で行われていました。トトメス1世の墓の建設に関わった高官の碑文からも、そのことがうかがえるのが興味深いです。また、墓づくりの職人の集落がやがて出来、兵士が墓守をしていたことから、新王国時代(紀元前1550年頃~前1070年頃)の末期までは王墓群は盗掘から守られていたようです。今となっては、トトメス1世からラメセス11世までの約60の王墓が発見されていますが、全ての墓が発見されたというわけではありません。なお、「王家の谷」という名称はフランスの考古学者であるシャンポリオンが名付けました。実際には王以外の王族も埋葬されることがありました。
Valley of the Queens
ナイル川西岸、王家の谷の南西に「王妃の谷」があります。歴代の王たちが埋葬されている王家の谷に対して、ここでは王の妻や子どもたちが埋葬されています。主に新王国時代の第18王朝から第20王朝にかけての王妃が埋葬されています。第20王朝以降は、新しい墓は造営されることなく、やがて王妃の谷は放置されました。しかし、ローマ帝国時代に再利用され、またコプト教が流行した時期には修道女の避難所などにも使用されたようです。

遺産DATA

地域 : アフリカ
所在地 : Governorate of Qina
分類 : 文化遺産
登録年 : 1979年
登録基準 : (i) (iii) (vi)
遺産の面積 : 73.9016㎢
バッファ・ゾーン : 4.4355㎢
座標 :N25 43 08 E32 39 26.1(カルナク神殿)

アクセス

カイロ国際空港からルクソール国際空港まで約1時間のフライト。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に囲まれた和歌山県で生まれ育つ。大学在学中に「ふるさとと世界をつなげたい」と決意し、自治体の国際交流について研究。現在公立高校の地理歴史・公民科教諭。一児の母でもあり、結婚式や子の七五三も故郷の世界遺産で行った。