about
金や岩塩の交易で栄える一方、時代の波に翻弄される
現在はマリ共和国の地方都市に過ぎないトンブクトゥですが、かつては「黄金の都」と称えられ、ヨーロッパではその栄華が伝説となるほどの繁栄を極めました。元々は遊牧民トゥアレグ族の宿営地だったトンブクトゥは、13世紀、マリ帝国の時代に金や岩塩の交易地として栄え、16世紀にはソンガイ帝国の支配下で最盛期を迎えます。しかし、ヨーロッパ人が大西洋岸航路を発達させたことで地域の情況は変わり、また、1591年にサハラの塩床をめぐる紛争が引き金となってモロッコ軍に占領されるなどして、次第にトンブクトゥは衰退の道をたどります。19世紀には、黄金伝説を信じた探検家がヨーロッパから訪れますが、すでに荒廃していました。
アフリカ初とされる大学が設置され、イスラム布教の拠点にも
マリ帝国最盛期、マンサ・ムーサ王が統治していた時代、トンブクトゥにはモスクや大学が建てられていきます。ムーサ王は1324~1325年、多くの従者を連れて、莫大な金塊を携行し、道中でそれを施しながらメッカ巡礼を行いました。彼が施した金のために金相場が大暴落したそうです。このときメッカから連れてきた建築家がサンコーレ・モスクを創建したと言われています。サンコーレ・モスクにはアフリカ初とされる大学が設置され、イスラム布教の重要拠点としても機能し、最大で約25,000人が学んだと伝わります。また、この時代に建てられたジンガリベリ・モスク(大モスク)は後に拡張されて、街のランドマークの一つにもなっています。

イスラム過激派組織の遺産破壊で危機遺産リストへ
雨季以外にほとんど降水がなく、サハラ砂漠との境界に位置するトンブクトゥには、風に乗った砂が容赦なく吹き付けます。モスクの侵食が激しいことや、砂で街が埋没する危険性などから1990年に危機遺産リストに記載されました。その後、植林などの改善措置が取られ、2005年には危機遺産リストから脱しました。しかし、イスラム過激派組織による遺産の破壊などの政情不安により、2012年から危機遺産リストに再度記載されて今に至っています。

アクセス
マリは外務省の海外安全情報において、トンブクトゥを含むほぼ全土で危険レベル4の退避勧告となっており、渡航はできない。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
アクセス
マリは外務省の海外安全情報において、トンブクトゥを含むほぼ全土で危険レベル4の退避勧告となっており、渡航はできない。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
Similar Heritage
特徴が似た遺産を探す