田島弥平旧宅
2階の蚕室には窓が多く、屋根いっぱいに越屋根がつけられている

構成資産DATA

利根川沿いの蚕種生産地で完成した養蚕法

田島弥平旧宅は利根川沿岸に形成された集落にあり、現在の伊勢崎市境島村にあたります。この一帯は砂質の土壌のため桑の栽培に適しており、江戸時代後期から蚕種の生産地として知られていました。蚕種は蚕の卵のことで、母蛾の交配により生み出されます。そして、良質な蚕種から孵化した蚕に桑を与え成長を促します。成長した蚕は繭をつくり出し、その繭から高品質な生糸の生産に繋げることができます。幕末の文政5年(1822年)にこの地で生まれた田島弥平は、より良い養蚕法を求めました。初めは東北地方で一般的であった「温暖育」を学び、試行錯誤を重ねた上で、通風を重視する方法に改良していき、「清涼育」を完成させました。

「清涼育」を実践した住居兼養蚕室

田島弥平が考案した「清涼育」は、通風・換気に重点を置いた養蚕法です。その理論を実践する場として、新しい形態の養蚕農家を設計しました。それは、瓦を葺いた切妻屋根の2階建てで、1階が住居、2階が養蚕を行う蚕室となるものでした。2階の屋根の上の端から端まで換気用の総櫓(「越屋根」とも呼ばれます)を設置しました。さらに、風の流れを良くするために、2階蚕室の四方の壁に開放部を設け、「清涼育」に沿った住居兼養蚕室を完成させました。この建築法を含めて、田島弥平は自らの実践で得た養蚕理論を著書「養蚕新論」(1872年刊行)にまとめました。それにより、近代養蚕農家主屋の原型として全国に広まっていきました。

蚕種の直輸出のためのイタリア視察

政府による蚕種輸出の解禁を受けて、弥平は渋沢栄一と三井組(のちの三井物産)の支援も受けて、1972年に島村勧業社を興しました。西欧で蚕の病気である微粒子病が蔓延していた時期でもあり、良質な蚕種を直接販売することを目指して、イタリアのミラノにも視察に訪れました。その訪問の際にドイツ製の顕微鏡7台を持ち帰り、自身の住居兼蚕室の2階北側に設置しました。それを活用して蚕の病気の検査・研究にも取り組み、蚕種の品種改良に貢献することになりました。この顕微鏡は、現在、「田島弥平旧宅案内所」に展示されています。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー客員研究員

米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。

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執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー客員研究員

米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。