about
総延長1,394kmに及ぶ広大な鉄道路線
『イラン縦貫鉄道』は、イラン北部のカスピ海に面する都市バンダレ・トルキャマンから、南部のペルシャ湾沿岸のバンダレ・エマーム・ホメイニーまでを結ぶ、全長1,394㎞の路線です。首都のテヘランを境に、北側の路線は461㎞に30駅を擁し、南側の933㎞には59駅があります。この間、鉄道は4つの異なる気候帯(カスピ海周辺の湿潤温暖気候、山岳地帯の寒冷気候、中央高原の乾燥気候、ペルシャ湾周辺の高温多湿気候)を通過し、森林や高山、砂漠など多様な地形を横断します。 鉄道のレール幅(軌間)は、現在世界で最も普及している1,435㎜(標準軌)が採用されました。
イラン近代化と地形的障害への挑戦
19世紀からイランでは鉄道建設の機運が高まっていましたが、1927年にパフレヴィー朝の皇帝により建設プロジェクトがスタートしました。建設にあたっては欧米諸国の干渉と支配を防ぐため、資金はすべてイラン国内の資本でまかないました。しかし技術面では螺旋状トンネルやループ橋など高度な土木技術を必要とするものがあり、各国からさまざまな支援を受けました。建設ルート上には山脈・森林・砂漠などさまざまな地形的障害があり、トンネルの一部放棄やルートの再編成など幾多の困難に直面しました。地域によっては山の大規模な掘削が行われ、大小360の橋、11のループトンネルを含む計224のトンネルが建設されました。また航空写真を用いて地形を測量し、ルートの決定や地図作成を行うなど、当時としては高度な技術や道具が用いられました。数多の障害を乗り越え、鉄道はようやく1938年に完成し、1940年に最初の列車が運行されました。
第二次世界大戦中の補給路「ペルシア回廊」
第二次世界大戦中の1941年、イランはイギリスとソ連から侵攻を受けました。目的はこの鉄道をペルシア湾岸から中央アジアを経て、連合国が戦時物資をソ連へ運ぶ補給ルートとして利用するためでした。このルートは当時「ペルシア回廊」と呼ばれ、大量の物資がこの鉄路を通って運ばれました。このように一時的に戦時利用された過去もありましたが、この鉄道はイランの大動脈として、またイランの人々の誇りとして、現在でも現役で使用されています。
アクセス
日本からテヘランまで、ドバイやドーハなどを経由して15〜16時間。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
アクセス
日本からテヘランまで、ドバイやドーハなどを経由して15〜16時間。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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