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庭に向かった壁面は総ガラス張りの開放感
チェコ南部モラヴィア地方に第2の都市ブルノがあります。このチェルナー・ポレ地区に、1930年、ブルノの繊維業で財をなした富裕な実業家トゥーゲントハート夫妻の新居がつくられました。ドイツ人建築家ミース・ファン・デル・ローエの設計で、傾斜地に建てられたその3階建て邸宅は、玄関やプライベート空間が上階に、下階がリビングや食堂になっています。庭に向かった壁面は総ガラス張りで部屋と庭とが一体的になっており、メインフロアには壁がなく、仕切りと建築家ミース自身がデザインした家具によって空間に機能を持たせる開放的なつくりになっていて、世界四大邸宅建築のひとつに数えられています。
第二次世界大戦と邸宅をめぐる激動の歴史
トゥーゲントハート夫妻はユダヤ系であったことから、当時チェコスロヴァキアに勢力を拡大しつつあったナチス・ドイツの迫害から逃れるために、1938年にはブルノの邸宅を離れスイスに移住することになりました。この新居での生活はわずか8年間でした。その後、邸宅は1939年にゲシュタポに接収され、1942年からはナチス・ドイツの所有物になりました。戦後はチェコスロヴァキアの国有となり、私立ダンススクールや小児病院のリハビリテーションセンターとして使われた時期もありましたが、1960年代からの数度にわたる改修によって現在にいたっています。邸宅をめぐる激動の物語は、サイモン・モウアーの『ガラスの家』に著されています。
アクセス
プラハからブルノまで列車で約3時間。ブルノ駅から路面電車で約15分。
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
アクセス
プラハからブルノまで列車で約3時間。ブルノ駅から路面電車で約15分。
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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