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多くの巡礼者や十字軍兵士でにぎわった街
現在はブルゴーニュの丘に静かに佇む小さな街にすぎないヴェズレーですが、かつては多くの巡礼者が訪れ、十字軍に向かう王たちが集うなどフランスの歴史の中にも登場する街でした。9世紀末にヴェズレーに教会が建てられると、マグダラのマリアの聖遺物が運び込まれたのをきっかけに、ヨーロッパ世界にとって重要な巡礼地となっていきます。11世紀になると、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼地の中継地として多くの巡礼者が訪れにぎわいました。そのため別の世界遺産『フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路』の構成資産にもなっています。
ロマネスク建築の傑作サント・マドレーヌ教会
ヴェズレーの街を代表しているのが、かつてマグダラのマリア(サント・マドレーヌ)の聖遺物を祀っていたとされるサント・マドレーヌ教会です。現在残る教会は、12世紀に再建されたもので、異なる色の石を組み合わせた聖堂内のアーチや、扉の上の半円形の部分(タンパン)に施されたレリーフ、柱の上の彫刻など、ロマネスクの建築と美術を代表する教会です。中でも、身廊に入る中央扉のタンパンに施された「使徒に使命を伝えるイエス」はヴェズレーの名をキリスト教世界の中で高めるものでした。これは中央にいる栄光のイエスが、使徒たちを祝福し、諸国民を改宗させる使命を与える場面を描いたものです。
平和と和解の場になった「平和の十字軍」
1146年、ヴェズレーの丘に集まったフランス国王ルイ7世や王妃、貴族や十字軍兵士たちの前で、クレルヴォーのベルナールが第2回十字軍派遣に向けた説教を行いました。それから800年後の1946年。ヨーロッパを中心に世界中を巻き込んだ第二次世界大戦が終わったばかりのヴェズレーで、かつての十字軍とは異なる平和のための十字軍が企画されます。イエズス会が呼びかけたこの企画に賛同したフランスや英国、イタリア、ルクセンブルク、スイス、ベルギーなどの若者たちが、木製の十字架を担いでヴェズレーまで大行進しました。しかし、敵国であったドイツにはこの呼びかけがなされていませんでした。近くに収容されていたドイツ人捕虜たちは噂を聞くと行進に加わることを希望し、爆撃された家屋の廃材で作った十字架を担いで行進に参加しました。戦争でドイツからひどい目にあわされた人々も暖かく彼らを迎えたといいます。サント・マドレーヌ教会には14本の木製の十字架と1本の廃材で作られた十字架が今でも祀られています。
アクセス
パリから最寄り駅のSermizelles-Vézelayまで電車で約3時間、そこからバスで約15分。
執筆協力者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
アクセス
パリから最寄り駅のSermizelles-Vézelayまで電車で約3時間、そこからバスで約15分。
執筆協力者PROFILE
北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。
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