
about
ハプスブルク家の王都
「音楽の都」として名を馳せるウィーンは、世間では「ウィーン少年合唱団」などでも有名でしょう。ウィーンの起源は紀元前1世紀までに遡り、ローマ帝国においては「ウィンドボナ」と呼ばれていました。13世紀以降ハプスブルク王家から神聖ローマ皇帝が選出されるようになってから、ウィーンは王都となりました。ウィーンが劇的な変貌を遂げるのは17世紀後半なのですが、それまでの歴史を語る建造物も多く残されています。例えばオーストリア最古の修道院であるショッテン修道院や、14~15世紀に建造された聖シュテファン大聖堂などはその代表例と言えます。
劇的な変貌を遂げたウィーン
この都市が劇的な変貌を遂げるのは、17世紀後半頃のことです。オスマン帝国によるウィーン包囲の脅威にさらされましたが、オスマン軍を何とか追撃し、ハンガリーの奪還にも成功します。この時点でウィーンは平和と富を得ることになり、当時のオイゲン公は、ウィーンの城壁外にバロック様式の夏の離宮を建設することになります。これがベルヴェデーレ宮殿です。また、19世紀半ばにフランツ・ヨーゼフ1世が大規模な都市改造を計画し、リンクシュトラーセと呼ばれる環状道路が敷設され、現在でもここには博物館や劇場、市庁舎など、都市の中枢機能が集積しているため、重要な場所と言えます。現在は都市景観の問題から危機遺産に登録されるなど、世界遺産との共存が課題となっています。
アクセス
ウィーン国際空港からバスで約20分。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
アクセス
ウィーン国際空港からバスで約20分。
執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
Similar Heritage
特徴が似た遺産を探す