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地中海地域の古代史、建築、文化が詰まった遺跡
モロッコにあるヴォルビリスの考古遺跡は、古代ローマ、キリスト教、イスラム教さらにはアフリカ民族の歴史、建築、文化を示す重要な遺跡です。先史時代からイスラム期までの10世紀以上にわたり、この地域に存在した様々な文化の痕跡を物語っています。ヴォルビリスには少なくとも紀元前3世紀には人々が居住し、紀元前3世紀~西暦40年までのマウレタニア王国時代には、日干しレンガを積み上げた城壁を備える小さな街が存在したと明らかになっています。これらの古代ローマ以前のアフリカの文化は、現代では既に失われたものであり、このようなものに焦点を当てている点でもここは重要な遺跡のひとつです。
古代ローマ統治下の発展
ヴォルビリスの考古遺跡は、ローマ帝国の辺境における都市開発とローマ化、ローマ文化と先住民文化の接点を如実に表すという点で、アフリカにおける重要なローマ時代の遺跡です。西暦40年に古代ローマ帝国がマウレタニア王国を併合したことで自治都市となったヴォルビリスは、公共建築や住宅が整備され、特にオリーブオイルの生産に関連する施設が建設されるなど急速に発展していきました。五賢帝最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニウス帝の治世下にあたる168~169年には、8つの門を備えた城壁が建設されました。また217年にマクリヌス帝が建てたカピトリウムや、カラカラ帝に捧げられた凱旋門、ガリエヌス浴場などローマ皇帝の名の下に建設された建築も残っています。
イドリース朝の首都
ヴォルビリスは3世紀ごろに突如放棄され「暗黒時代」を迎えます。8世紀後半、正統カリフのアリーの子孫であるイドリース1世が、ファッフの戦いでアッバース朝に敗れてモロッコへと逃れ、ヴォルビリス周辺のベルベル人によって迎え入れられました。ヴォルビリスを拠点として権力を掌握したイドリース1世は、フェズに新たな都市を建設し、イドリース朝を建国しました。イドリース1世は791年に刺客により毒殺されましたが、彼の息子イドリース2世はヴォルビリスを完全に放棄することはありませんでした。しかし、11世紀のムラービト朝による襲撃によって、人々はヴォルビリスから去った可能性があるとされています。
アクセス
カサブランカ、フェズ、ラバトからメクネス行きの電車に乗り、メクネスからはタクシーを利用。
執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
アクセス
カサブランカ、フェズ、ラバトからメクネス行きの電車に乗り、メクネスからはタクシーを利用。
執筆協力者PROFILE
筑波大学人文・文化学群人文学類在学。2021年度「世界遺産✕SDGsチャレンジ!」小論文部門、2022年度「世界遺産✕SDGs教員養成プログラム」で最優秀賞。現在は中央アジアを中心とする無形文化遺産の保護や活用について関心がある。
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