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アフパットとサナインの修道院
Monasteries of Haghpat and Sanahin
イスタンブルの歴史地区
Historic Areas of Istanbul
トルコ北西部のイスタンブルは、アナトリア半島、バルカン半島、黒海、地中海の間に位置し、ヨーロッパとアジアを隔てるボスフォラス海峡の両岸にまたがる、トルコ最大の都市です。その立地が表すように、ヨーロッパとアジアの文明が交差する十字路であり、ローマ帝国やビザンツ帝国、オスマン帝国といった大帝国の都が置かれてきました。都市の起源は紀元前7世紀頃に遡り、古代ギリシャの都市国家メガラが、王の名にちなみビザンティオンという名の都市を建設したことが始まりとされています。2世紀末に、ローマ帝国に占領されて「ビザンティウム」と改名。330年には帝都がローマからこの地へと遷され、当時のローマ皇帝コンスタンティヌスの名にちなんで都市名は「コンスタンティノポリス」(コンスタンティノープル)と名付けられました。395年にローマ帝国が東西に分裂すると、コンスタンティノープルはビザンツ帝国(東ローマ帝国)の都となりました。西ローマ帝国はわずか80年後の476年に滅亡したのに対し、ビザンツ帝国はその後1,000年以上も続きました。また、1054年キリスト教会が東西に分裂すると、西のローマはカトリック教会、東のコンスタンティノープルはギリシャ正教会の本拠地となりました。
イタリアのロンゴバルド族:権勢の足跡(568-774年)
Longobards in Italy. Places of the power (568-774 A.D.)
ヴェネツィアとその潟
Venice and its Lagoon
ウンム・アッラサス(カストロム・メファア)
Um er-Rasas (Kastrom Mefa'a)
王立展示館とカールトン庭園
Royal Exhibition Building and Carlton Gardens
キーウ:聖ソフィア聖堂と関連修道院群、キーウ・ペチェルーシク大修道院
Kyiv: Saint-Sophia Cathedral and Related Monastic Buildings, Kyiv-Pechersk Lavra
9~13世紀にキリスト教圏の東端で栄えたキエフ大公国(キーウ・ルーシ)が首都キーウに残したキリスト教関連の建築物群です。キエフ大公国は10世紀末にギリシャ正教を国教として公認し、ビザンツ様式の教会や修道院が数多く建てられました。キーウの中心部にある聖ソフィア聖堂はキーウ・ルーシ全盛期の11世紀にヤロスラフ賢公によって建設されたキーウ最古の聖堂です。後にロシア各地の聖堂建築に影響を及ぼしたことから、「ロシア聖堂の母」と呼ばれます。郊外の高台に立つキーウ・ペチェルーシク大修道院はやはり11世紀に建設され、宗教・学問・教育の広い分野で中世ロシア有数の「知の中心」でした。13世紀にモンゴル軍により破壊されましたが、19世紀になって再興されました。世界遺産には、ペレストヴォ地域にある救世主聖堂も併せて登録されています。
コソボの中世建造物群
Medieval Monuments in Kosovo
スヴィヤジツクの集落島にある生神女就寝大聖堂と修道院
Assumption Cathedral and Monastery of the town-island of Sviyazhsk
生神女就寝大聖堂(アサンプション大聖堂)は、スヴィヤジスクという町全体が島となった地域に位置し、同名の修道院の一部を成しています。ロシアのヴォルガ川、スヴィヤガ川、シュチュカ川が合流する地点にあり、シルクロードとヴォルガ交易路が交差する要衝にあたります。スヴィヤジスクは、1551年にイワン雷帝によって、カザン・ハン国征服を開始するための前線基地として築かれました。就寝修道院は、征服された地域における宣教と行政の中心として機能することが期待されていました。大聖堂は、比較的短期間で完成した広範な壁画群を備えており、イスラーム王国であったカザン・ハン国を征服した直後のロシア国家が掲げた文化的・政治的な野心を反映しています。また、当時のロシアおよびヨーロッパにおける正教会美術の新しい潮流を示すものでもあります。
スタリ・ラスの遺跡とソポチャニの修道院
Stari Ras and Sopoćani
ストゥデニツァ修道院
Studenica Monastery
聖カトリーナ修道院地域
Saint Catherine Area
聖カトリーナ修道院は、エジプト北東部のシナイ半島南部、シナイ山(標高2285m)北麓にあるギリシア正教の修道院です。この山のふもとは、『旧約聖書』でモーセが神から「十戒」を授けられた場所とされ、古くからユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとって宗教的に重要な意味を持つ聖地とされてきました。険しい山岳地帯の続く過酷な環境にもかかわらず、一帯には数多くの考古学的・宗教的遺跡やモニュメントがあり、巡礼者らにインスピレーションや心の平穏をもたらす景観を形成しています。初期キリスト教会では、辺境地に修道院共同体を設立して禁欲的な修道生活を送ることが広く行われましたが、聖カトリーナ修道院は、そうした修道院の中でも最も初期のものの一つです。今も修道士たちが静かな祈りの生活を続ける、世界最古のキリスト教修道院となっています。
聖山アトス
Mount Athos
エーゲ海に突き出たアクティ半島は、全体がギリシャ正教の聖地です。その東南端にそびえる標高2,000mを越える山がアトス山であり、「聖山アトス」と呼ばれています。この世界遺産は同じくギリシャ正教徒の聖地である『メテオラの修道院群』と同じ1988年に、どちらも複合遺産として登録されました。このあたりの海岸線は非常に複雑であり、その結果、ギリシャでもっとも多くの種類の植物が育っているのです。なお、陸のルートは封鎖されており、巡礼者や観光客は船からしか聖山アトスに行けなくなっています。ダフニ港が入山するための唯一の入り口なのです。修道士がこの地に最初に修道院を築いたのは10世紀半ばと言われていて、以降、次々と修道院が建てられていきます。現在活動する修道院の数は約20です。
ダフニ、オシオス・ルカス、ヒオスのネア・モニの修道院群
Monasteries of Daphni, Hosios Loukas and Nea Moni of Chios
ダマスカスの旧市街
Ancient City of Damascus
テサロニキの初期キリスト教とビザンツ様式の建造物群
Paleochristian and Byzantine Monuments of Thessalonika
ギリシャ北部の都市テサロニキが建設されたのは、紀元前315年のことです。テサロニキとは、アレクサンドロス大王の後継者とされるカッサンドロスの妻「テサロニケ」に由来します。マケドニアの王となった彼は、王妃の名をこの街に与えました。街は初期キリスト教が確立していくなかで、その布教の拠点となりました。また、その立地の良さから交通の要衝となり、ビザンツ帝国時代でも首都コンスタンティノープルに次ぐ第二の都市として繁栄しました。オスマン帝国の支配下(1430年~1912年)では、多くの教会がモスクへと転用され、イスラム教のモスクも新たに建設されました。1912年にギリシャ領となった後も、テサロニキはアテネに次ぐギリシャ第二の都市として、現在も繁栄を続けています。
ネセビルの古代都市
Ancient City of Nessebar
パンノンハルマの千年の歴史をもつベネディクト会修道院と周辺の自然環境
Millenary Benedictine Abbey of Pannonhalma and its Natural Environment
プスコフ建築派の教会群
Churches of the Pskov School of Architecture
ブトリントの考古遺跡
Butrint
アルバニア南部にあるブトリントは、紀元前800年からローマ人が到来するまでギリシャ文化の影響を受け、円形劇場や医療の神アスクレピオスを祀る神殿が残っています。紀元前44年にブトリントはローマの植民地となり、湿地を埋め立てられて大幅に拡張され、水道などが建設されました。5世紀には司教区の中心地となり、要塞化が進み、バシリカ式の聖堂や礼拝堂が建てられました。一時放棄された時期を経て、9世紀にはビザンツ帝国の支配下で再建されました。その後、ブトリントはヴェネツィアやオスマン帝国といった各時代の大国の支配下に置かれました。この遺跡は地中海史の縮図であり、最古の居住記録は紀元前5万年から前19世紀頃まで遡ることができます。
ボヤナの教会
Boyana Church
ポレチュ歴史地区にあるエウフラシウス聖堂の司教関連建造物群
Episcopal Complex of the Euphrasian Basilica in the Historic Centre of Poreč
ミストラの考古遺跡
Archaeological Site of Mystras
古代ギリシアのポリスであるスパルタから西へ約5kmの位置に、ミストラはあります。かつて「ビザンツ帝国最後の輝き」と言われたこの都市は、13世紀初頭の第4回十字軍の際、アカイア公国の君主によって築かれました。その後、ビザンツ帝国の皇帝ミハイル8世がこのミストラを手中におさめ、ミストラはビザンツ帝国軍総督の本拠地となりました。14世紀から15世紀にかけてはモレアス専制公領の都となり、専制公らは大きな政治力と軍事力を背景に富を蓄え、ミストラを要塞都市だけでなく、文化の中心地としても発展させようとしました。建築家や芸術家を集めて、古代ギリシアに倣ってアカデミアなどを建築しますが、1453年にビザンツ帝国が崩壊すると、ミストラは衰退の一途を辿りました。そして、19世紀には廃墟と化してしまったのです。
ラヴェンナの初期キリスト教建造物群
Early Christian Monuments of Ravenna
リラの修道院
Rila Monastery