見どころDATA
ナチス・ドイツから隠れ、潜伏生活をしていた屋根裏部屋
プリンセン運河沿いにある「アンネ・フランクの家」は、1635年に建てられその後増築された家屋で、アンネ・フランクの父親の仕事場でした。フランク一家は、もともとドイツのフランクフルトの裕福なユダヤ人一家でしたが、ナチスによるユダヤ人迫害を恐れ、アムステルダムに移り住みました。しかし、オランダがナチス・ドイツに占領され、ここでも「ユダヤ人狩り」が頻繁に行われるようになると、一家は18世紀に増築されたこの家の屋根裏部分に隠れ住み、潜伏生活を送ることになります。そこでは、同じくドイツからアムステルダムに移住してきたファン・ペルス一家と、フリッツ・プフェファーの計8人でおよそ2年間生活を続けましたが、ついに1944年にナチスの秘密警察(ゲシュタポ)に発見され、アウシュヴィッツ強制収容所に送られました。この潜伏の間(1942年~1944年)の日々を綴ったものが「アンネの日記」です。現在、家の内部は公開されており、隠れ家に通じる入口を隠した回転式本棚や日記を綴った屋根裏部屋なども見ることができます。
フランク一家の悲劇
8人は全員アウシュヴィッツ強制収容所に送られた後、アンネの母親エーディットはそこで亡くなり、アンネと姉のマルゴーだけドイツ国内のベルゲン・ベルゼン強制収容所へ移送され、そこで亡くなった(病死)と記録されています。終戦後、父親のオットーのみ生き残ってここに戻ってきて、事業を継続していましたが、1953年に父オットーも仕事をやめ、建物は人手にわたりました。建物は解体される予定でしたが、市民の抗議運動により解体を免れ、その後設立されたアンネ・フランク財団の管理に移りました。そして1960年「アンネ・フランクの家」として開館しました。
執筆協力者PROFILE
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。