王宮(フエ)
正殿の太和殿。金と赤を基調とし、皇帝の象徴である龍があしらわれている

北京の紫禁城をモデルとした、グエン朝ゆかりの建造物群

フエの王宮は、19世紀から20世紀に栄えたグエン朝ゆかりの建造物群で、ベトナムで初めての世界遺産である「フエの歴史的建造物群」の構成資産のひとつです。北京の故宮を参考にし、その約4分の3の規模で建設されました。フォーン川の左岸に位置し、高さ約6.6m、幅約21mという大城壁に囲まれた、一辺約2.2kmの正方形の都城です。東洋思想やベトナムの伝統、西洋の軍事建築であるヴォーバン様式の要素を取り入れて建設計画が進められました。南側にある正門(午門)を抜けるとあらわれる太和殿は、皇帝の政務の空間でした。中国明清時代の構造技法を踏襲した建築様式となっており、中には皇帝の座した金色の玉座が残っています。太和殿の柱の一部には、5本の指の龍が巻き付くデザインが施されており、これは皇帝を象徴するものとされています。

王宮(フエ)
風水思想に基づき、中心軸を基本に、左右対称に建物が並ぶ(©huong/Adobe Stock)

建築に見られる宗主国フランスの影響

王宮に残る殿宇の中には、19世紀から20世紀にかけてベトナムを植民地支配した、フランスの建築様式の影響が見られるものもあります。例えば、太平楼では、屋根の飾りにベトナムの伝統的な建築の様相がみられる一方で、2階部分には、フランス的な観音開きの鎧戸が見られます。また、柱に着目すると、伝統的に東アジアの木造建築文化圏では用いられることが少ない、角柱が用いられており、西洋古典主義的な柱制作の影響を受けていることがわかります。

建忠殿
紫禁城エリアの最奥に位置する建忠殿。カイディン帝の居所などに使用された(©Eric Akashi/Adobe Stock)

ベトナム戦争の影と復興

かつては太和殿の奥に、皇帝の生活の場である紫禁城が存在していました。その場所は現在、2匹の龍に囲まれた階段や一部の壁を残し、廃墟となっています。この地はベトナム戦争中の1968年、アメリカ軍のフエ空爆や王宮の城壁を挟んだ銃撃戦などによる被害を受け、紫禁城を含む、王宮内の多くの建物が破壊されました。しかし、太和殿や午門はかろうじて残り、戦後のベトナムの人々の心の拠り所となりました。太和殿や午門はその後補修を加えられ、往時の豪華なベトナム王宮建築の姿を今に伝えています。

午門
正門の午門。2階の「五鳳凰樓」は、新年の挨拶や科挙の合格発表などの際に皇帝が姿を見せた(©aruizhu/Adobe Stock)

 

執筆協力者PROFILE

大学生/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

東京大学在学。中学の授業で世界遺産に関心を持ち「世界遺産×SDGsチャレンジ!」小論文部門(2021年度)・プレゼンテーション部門(2022年度)で最優秀賞を受賞。高校時代には世界遺産教育の教科横断的アプローチの可能性に関する論文を執筆し、現在も探究を深める。

執筆協力者PROFILE

大学生/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

東京大学在学。中学の授業で世界遺産に関心を持ち「世界遺産×SDGsチャレンジ!」小論文部門(2021年度)・プレゼンテーション部門(2022年度)で最優秀賞を受賞。高校時代には世界遺産教育の教科横断的アプローチの可能性に関する論文を執筆し、現在も探究を深める。