唐の都・長安をモデルとした平城京
奈良でも有数の桜の名所として知られる平城宮跡は、地元の人たちにとっても憩いの場となっている歴史公園です。奈良盆地の北端に平城京が開かれたのは710年のことです。それまでの都であった藤原京から遷都されました。元明天皇の命によって律令国家の政治の中心として築かれた平城京のモデルは、唐の都・長安でした。碁盤の目のように区画された都は、10万を超える人々が暮らしていたと推定されています。平城京の南端には、この都の入口にあたる羅城門がありました。羅城門からは、幅約75m、長さが約3.7kmの朱雀大路が都の中央を南北にまっすぐに延びていました。その規模は、大型旅客機が発着する空港の滑走路に匹敵します。当時の人々も、その壮大さに圧倒されたことでしょう。そして突き当りには、平城宮の正門である巨大な朱雀門が建っていました。
発掘調査を重ねて復元へ
平城京の中央北端に造営された平城宮は、都の中枢でした。東京ドーム25個分に相当する約120ha(東西約1.3km、南北約1km)の広さがあり、高さ5mほどの大垣がめぐらされ、朱雀門をはじめ12の門が設置されていました。そこには、国家の儀式や政務が執り行われた大極殿や朝堂院のほか、天皇の住まいである内裏が置かれ、その周囲には役人が日常の業務を行う官衙が立ち並んでいました。さらには、宴をひらく庭園などもありました。それらの建造物はすべて木造であったために、地上の構造物は失われています。しかし、地下には基壇や柱穴などの遺構が残されていました。1952年には、平城宮跡の一部が特別史跡に指定され、1955年から発掘調査が始まりました。その成果に基づき、第一次大極殿や朱雀門、東院庭園などが復元されています。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。