日本で初めてとなる正式授戒
律宗の総本山である唐招提寺は、日本に仏教の戒律を伝えた唐の高僧・鑑真によって、759年に創建されたものです。来日後、授戒に関するすべてを朝廷から任された鑑真は、東大寺大仏殿前に戒壇を設けました。そして、聖武天皇をはじめ、多くの僧侶に戒を授けました。これは、日本で初めてとなる正式授戒でした。こうした功績が認められた鑑真は、朝廷から余生を過ごすための場として、新田部親王の旧宅地を与えられました。鑑真はここに、戒律を学ぶ人たちのための私立道場を築きました。これが唐招提寺のはじまりです。
不屈の精神で日本へ渡った名僧
当時の日本は仏教伝来から200年が経過していましたが、正式な授戒を受けた僧はいませんでした。この状況に危機感を覚えた聖武天皇は、唐から師僧を招くことにしました。揚州の大明寺で戒律を講じていた鑑真は、4万人の弟子をもつ名僧でした。朝廷からの熱心な要請に応じる形で、鑑真は海を渡ることを決意しますが、それは命がけの航海でした。妨害や舟の難破、またあるときは南方の海南島に流されるなどで、5度にわたる失敗を重ねました。弟子を失い、自らも視力を失いながらも、ついに日本の土を踏みしめたとき、鑑真は66歳でした。12年もの歳月をかけた壮絶な道のりでした。
奈良時代に建てられた金堂は、弟子によって完成
鑑真は、仏を祀る金堂よりも、教学の研鑽に必要な「講堂」を優先して建てるように命じたと伝えられています。講堂は、平城宮の東朝集殿を譲り受け、760年代に移築・改造されました。これは現存する唯一の平城宮宮殿建築の遺構です。鑑真没後に建てられた金堂は、8本のエンタシス列柱が印象的で、その内陣には、本尊である盧舎那仏坐像、薬師如来立像、千手観音菩薩立像など9躯の仏像が安置されており、いずれも国宝に指定されています。金堂を完成へと導いたのは、鑑真の弟子の一人で、彼とともに来日した如宝でした。千数百年の歳月を経た金堂は、奈良時代の大規模な木造の仏殿として今に伝わる唯一の建築です。

執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。
執筆協力者PROFILE
北海道出身。高校時代にAFSでタイ王国へ交換留学。その後、同志社大学へ進学し、卒業後は専門紙記者として10年働いたのち、一般メディアで編集および取材活動に従事。世界遺産検定マイスター。特に好きな分野は、一神教などの宗教・信仰関連遺産。趣味は華道。