パリのセーヌ河岸
セーヌ川の河岸に広がる歴史的な街並

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : フランス共和国 所在地 : Ile de France 分類 : 文化遺産 登録年 : 1991年 範囲変更年 : 2024年 登録基準 : (i) (ii) (iv) 遺産の面積 : 5.38㎢ バッファ・ゾーン : 31.94㎢ 座標 : N48 51 55.8 E2 19 16.1

about

シテ島に始まるパリの歴史

パリの歴史は、セーヌ川に浮かぶシテ島から始まります。今はパリのシンボルのひとつとなっているノートル・ダム大聖堂が立つ、文字通りパリの中心となる島です。この島に紀元前3世紀頃からケルト系のパリシイ人が集落を作って暮らし始めました。その後、紀元前52年頃にガリア遠征中のカエサルが率いるローマ軍に侵略されるとローマ風の都市が築かれ、河川交通の重要拠点として発展しました。4世紀中頃にパリと呼ばれるようになり、彼らが話す言葉が現在のフランス語へと発展しました。

歴史的建造物が密集する世界遺産エリア

パリの街はセーヌ川の湾曲に沿って発展していきました。世界遺産には、上流のシュリー橋からエッフェル塔の前のイエナ橋までのセーヌ川沿いのエリアが登録されています。このエリアにはシテ島にあるノートル・ダム大聖堂やゴシック建築の傑作であるサント・シャペル、かつて王宮であったルーヴル美術館(ルーヴル宮)、ナポレオン1世の棺が納められたアンヴァリッド、パリ万博に向けて敷かれた鉄道の駅舎だったオルセー美術館など、世界に誇る建造物が密集しています。

世界の見本となった都市計画

1789年にフランス革命が起こると、パリを含むヨーロッパ全体が激動の時代を迎えます。その中で誕生した第二帝政のナポレオン3世は、好景気を背景に強いリーダーシップを発揮し、パリの大改造に着手しました。クーデターの際に軍隊を阻むバリケードがよく築かれた細い入り組んだ街路や暗く汚い建物をすべて取り壊し、いくつもの大通りを中心とする美しく整えられた街に大変身したのです。現在まで続く美しい街並への大改造を率いたのはセーヌ県知事のジョルジュ・オスマンでした。こうして生まれた近代都市パリは、ヨーロッパの国々の都市計画の手本となりました。

アクセス

日本から飛行機で約15時間。シャルル・ド・ゴール空港からパリ中心部まで鉄道またはバスで約60分。

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。

Trivia

エッフェルが私費をはたいて築いたパリのシンボル

エッフェル塔は、フランス革命100周年を記念した1889年のパリ万博の目玉として建設されました。塔を建設したのは、ニューヨークの世界遺産『自由の女神像』の内部の鉄骨構造の作成で注目を集めていたギュスターヴ・エッフェル率いるエッフェル社です。彼らは建設のコンペティションには勝利しましたが、フランス政府から出された補助金は完成までにかかった建設費の20%弱に過ぎませんでした。そのため、エッフェル自身が金策に走り、多くの金額も自ら負担しました。その代わり、エッフェルは20年間のエッフェル塔の使用権が認められました。

エッフェルが私費をはたいて築いたパリのシンボル

Properties

The Cathedral of Notre-Dame
パリ発祥の地であるシテ島にたつノートル・ダム大聖堂は、信仰だけでなく、政治や文化、歴史、教会建築など、さまざまな点から見てパリを代表する建造物のひとつです。現在みられる大聖堂は、モーリス・ド・シュリー司教によって1163 年に建設が開始され、1225年に身廊とファサードが完成。1250年にファサードの上に2つの塔がつくられました。その後も増改築が続けられましたが、1789年のフランス革命で大きな被害を受けます。廃墟となりかけていた大聖堂を保護したのは、ナポレオンでした。ナポレオンは自ら修復した大聖堂でフランス皇帝としての戴冠式を行い、ナポレオン1世となりました。
The Eiffel Tower
フランス革命100周年を記念する1889年のパリ万博の目玉に決まったのが、ギュスターヴ・エッフェルが率いるエッフェル社が出した、当時の世界最高の高さを誇る鉄塔案でした。エッフェルは、アメリカ合衆国の世界遺産になっている『自由の女神像』の内部構造や、ポルトガル共和国のポルトにある「マリア・ピア橋」などを設計しており技術力が認められていました。1887年1月26日に建設が開始されると、わずか2年2カ月と5日後の1889年3月31日に記録的な速さで完成しました。5,300枚の図面を基に、150人の工場労働者、約300人の現場労働者が、鉄7,300トン、リベット(ネジ)250万個、塗料60トンを使って完成させました。
The Sainte Chapelle
13世紀にフランス国王ルイ9世がビザンツ帝国皇帝から聖遺物であるキリストの「茨の冠」など22点を購入し、それらを納めるために建設されました。その時の購入金額は王国の収入の約半分もしたと伝わります。サント・シャペルを設計したのが誰なのかはわかっていませんが、シテ島にある王の邸宅の中に位置する礼拝堂として使われ、2階部分の豪華な礼拝堂は王の居室と直接つながっていました。フランス革命の混乱の中で多くの聖遺物は失われましたが、「茨の冠」は難を逃れ、現在はノートル・ダム大聖堂に納められています。
The Louvre Place
セーヌ右岸に位置するルーヴル美術館は、フランス国王フィリップ2世が12世紀に築いた要塞を起源としています。16世紀半ばに国王フランソワ1世が改築し、現在のような城館となりました。その後も歴代の王が王宮として改築や増築を続け、17世紀のルイ14世の時代には、ルイ・ル・ヴォーやシャルル・ル・ブランなど、後に豪華なヴェルサイユ宮殿を築く芸術家の手でアポロンのギャラリーなどがつくられました。アポロンのギャラリーはヴェルサイユ宮殿の「鏡の間」のモデルにもなっています。しかし、ルイ14世はアポロンのギャラリーが完成する前に王宮をヴェルサイユに遷したため、アポロンのギャラリーは長い間、未完成のまま残されました。ルーヴル宮が本格的に美術品を展示する美術館になったのは、フランス革命の後のことでした。
The Hôtel des Invalides
アンヴァリッドは4,000人の傷痍軍人のための療養所として、1670年にルイ14世の命で建設されました。アンヴァリッドには、病院や兵舎だけでなく、ホスピスや修道院も含まれ、王のために戦い傷ついた兵士だけでなく、戦地から戻り好き勝手に放蕩生活を送る兵士を収容する意味もありました。1706年に完成したアンヴァリッドを象徴する黄金のドーム(礼拝堂)は、ルイ9世の棺を安置するために築かれました。地下墓所にはナポレオン1世の棺も置かれています。またアンヴァリッドは、現在でも100名ほどの傷痍軍人が生活する現役の施設でもあります。
The Musée d'Orsay
オルセー美術館のある場所には19世紀に建てられたオルセー宮殿がありましたが、19世紀末の激動の時代に焼失し、そのまま放置されていました。その地を活用したのが、1900年のパリ万博です。万博を訪れる人々のための駅舎兼ホテルとして建て直されました。その駅舎が美術館として生まれ変わったのは1986年のことです。現在ではパリの新しい名所として多くの人が訪れています。ジャン・フランソワ・ミレーの「落穂ひろい」やクロード・モネの「日傘の女」、ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの「自画像」、オーギュスト・ルノワールの「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」などの絵画作品のほか、フランソワ・ポンポンの「白熊」など、近代の作品を中心に現代の作品もコレクションに含んでいます。
The Palais de Chaillot
エッフェル塔からイエナ橋を挟んでちょうど反対側の丘の上にあるシャイヨー宮のある場所には、かつてフランス王妃カトリーヌ・ド・メディシスが建てたシャイヨー城がありましたが、フランス革命の際に大きな被害を受けました。現在のトロカデロ庭園を囲むようなU字型の宮殿となったのは、1937年のパリ万博の時です。シャイヨー宮の建物の間にある人権広場からはエッフェル塔が美しく見えることもあり、ヒトラーがパリを征服した時には広場で記念写真を撮ったり、NATO本部がシャイヨー宮に置かれたほか、世界人権宣言を採択した国連総会が開催されるなど、フランスを代表しパリを象徴する場所としても使われてきました。現在も人気の観光スポットとなっています。

遺産DATA

所在地 : Ile de France
分類 : 文化遺産
登録年 : 1991年
範囲変更年 : 2024年
登録基準 : (i) (ii) (iv)
遺産の面積 : 5.38㎢
バッファ・ゾーン : 31.94㎢
座標 :N48 51 55.8 E2 19 16.1

アクセス

日本から飛行機で約15時間。シャルル・ド・ゴール空港からパリ中心部まで鉄道またはバスで約60分。

執筆協力者PROFILE

宮澤 光
宮澤 光
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員

北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。