構成資産DATA
男装をして権力を握った王
ナイル川西岸にあるハトシェプスト女王葬祭殿は、新王国時代第18王朝のハトシェプスト女王(在位:紀元前1473年頃~前1458年頃)が治世7年目から約15年かけてつくった葬祭殿です。ハトシェプスト女王は、王家の谷に初めて墓を築いたトトメス1世の娘であり、トトメス2世の妃でもありました。彼女は夫の死後、トトメス3世の摂政となるのですが、やがて自らをファラオと名乗り、約20年間にわたってエジプトを支配しました。古代エジプトでは、「ファラオは男性がなるもの」という伝統があったので、これは極めて異例の事態でした。そこで、彼女は公の場に出るときは顎髭をつけたりして、男装をしていたと言われています。彼女の死後、トトメス3世は積年の恨みを晴らすため、葬祭殿にあった男装の女王の立像を破壊し、女王にまつわるレリーフを削ったと言われています。キリスト教が伝わると葬祭殿はコプト教の修道院として利用され、現在一帯はアラビア語で「北の修道院」を意味する「デイル・エル・バハリ」と呼ばれています。

以降の葬祭殿の手本となった建築物
ハトシェプスト女王葬祭殿は、岩壁を背景に3層のテラスとそれを結ぶ傾斜路で構成されています。中庭は3つに分かれ、先端部の第一中庭には、当時交易をしていたプント国(現在のエリトリア周辺に存在したとされる国)からもたらされた樹木や灌木も植えられていたようです。また、テーベ西岸の墓の守護神とされているハトホル女神の礼拝堂や、死者の守護神であるアヌビス神の礼拝堂も端に存在しています。神殿の最奥部には王やアメン神、太陽神の礼拝堂も設けられており、この構造は後の王たちも模範としました。ハトシェプスト女王葬祭殿は以降の葬祭殿の建築に多大な影響を与えたと言えるでしょう。

執筆協力者PROFILE
世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
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世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。
