王家の谷
砂漠の谷間につくられた「王家の谷」。山を一つ越えるとハトシェプスト女王葬祭殿(写真手前)がある

構成資産DATA

盗掘を恐れ秘密裏で造営された王墓

古代エジプトの人々は、ナイル川の東岸を「生者の都」とし、西岸を「死者の都(ネクロポリス)」と考えていました。その西岸に王たちが墓を造るようになったのは紀元前1520年頃のことなのですが、過去にピラミッドで盗掘が目立ったこともあり、その建設は当初、秘密裏で行われていました。トトメス1世の墓の建設に関わった高官の碑文からも、そのことがうかがえるのが興味深いです。また、墓づくりの職人の集落がやがて出来、兵士が墓守をしていたことから、新王国時代(紀元前1550年頃~前1070年頃)の末期までは王墓群は盗掘から守られていたようです。今となっては、トトメス1世からラメセス11世までの約60の王墓が発見されていますが、全ての墓が発見されたというわけではありません。なお、「王家の谷」という名称はフランスの考古学者であるシャンポリオンが名付けました。実際には王以外の王族も埋葬されることがありました。

王家の谷
王家の谷の墓は、岩山を掘るようにしてつくられた(©Astrid Gast/Adobe Stock)
ラメセス6世の墓
ラメセス6世の墓。墓の建設自体はラメセス5世によって開始された。数ある墓の中でも保存状態が非常に良い(©O’SHI/Adobe Stock)

歴史の表舞台に出てきた若き王の墓

「王家の谷」を世界的に有名にした出来事が、何といっても「ツタンカーメン王の墓」の発見でしょう。ツタンカーメン王は、アメンヘテプ4世の息子であり、若くして亡くなった王です。彼の墓は、19222年にイギリス人のハワード・カーターによりほぼ完全な状態で発見され、世界を驚かせました。黄金の玉座や儀式用ベッドなどが当時のまま残り、玄室ではツタンカーメン王のミイラとそのミイラに被せた「黄金のマスク」も発見されました。現在でも様々な王の墓が発見されており、それにより古代エジプトの全貌が判明してきているということは、現代を生きる我々にとってはこの上ない喜びだと言えるでしょう。

ツタンカーメン王墓
ツタンカーメン王墓。墓の規模が小さく、歴史から王の名が抹消されていたことなどから、ほぼ盗掘されていない状態で発見された(©abrilla/Adobe Stock)

執筆協力者PROFILE

京都橘大学・大阪成蹊大学講師/NPO世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。

執筆協力者PROFILE

京都橘大学・大阪成蹊大学講師/NPO世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。