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アッピア街道:レジーナ・ヴィアルム(街道の女王)
Via Appia. Regina Viarum
アル・ファーウ考古地域の文化的景観
The Cultural Landscape of Al-Faw Archaeological Area
ウンム・アル・ジマール
Umm Al-Jimāl
ゲディの旧市街と考古遺跡
The Historic Town and Archaeological Site of Gedi
ケノゼロ湖の文化的景観
Cultural Landscape of Kenozero Lake
現代人的行動の出現:南アフリカにおける更新世の居住地軍
The Emergence of Modern Human Behaviour: The Pleistocene Occupation Sites of South Africa
佐渡島の金山
Sado Island Gold Mines
シュヴェリーンの邸宅群
Schwerin Residence Ensemble
『シュヴェリーンの邸宅群』は、ドイツ北東部のメクレンブルク=フォアポンメルン州にあるシュヴェリーン湖など複数の湖のほとりに築かれた建物や公園、庭園で構成されています。1815年に公国から昇格したメクレンブルク・シュヴェリーン大公国は、首都をシュヴェリーンに定め、1843年から大公宮殿や庭園を中心とする大規模な都市整備を行いました。建築様式は新古典主義、ネオ・バロック、ネオ・ルネッサンスなど、当時プロイセンとドイツ諸王国・侯国で流行していた歴史主義様式が幅広く取り入れられており、なかには地域特有のネオ・ルネッサンス「ヨハン・アルブレヒト様式」も見られます。大公宮殿、荘園、文化・宗教建築、ファッフェンタイヒ装飾湖など38の要素からなり、首都として求められる行政、防衛、サービスインフラ、交通、威信、文化活動のすべての機能を備えた公共空間が整備されていました。19世紀のヨーロッパにおけるロマン主義的な趣味を体現するものであり、歴史主義様式の発展を示す代表的な事例と言えます。
人権と自由、和解:ネルソン・マンデラの遺産
Human Rights, Liberation and Reconciliation: Nelson Mandela Legacy Sites
聖ヒラリオン修道院/テル・ウンム・アメル
Saint Hilarion Monastery/ Tell Umm Amer
ティエベレの王宮
Royal Court of Tiébélé
テ・ヘヌア・エナタ:マルケサス諸島
Te Henua Enata – The Marquesas Islands
トゥルグジウにあるブランクーシの彫刻作品群
Brâncuși Monumental Ensemble of Târgu Jiu
コンスタンティン・ブランクーシはルーマニア出身の彫刻家で、20世紀を代表する芸術家の一人です。代表作には、鳥の飛翔の本質を流線形に飛躍させて表現した「空間の鳥」などがあります。1937年から1938年にかけて制作された、トゥルグジウにある「モニュメンタル・アンサンブル」は、第一次世界大戦で街を守って命を落とした人々を追悼するために制作されました。主要な作品として、「無限柱(Endless Column)」「接吻の門(Gate of the Kiss)」「沈黙のテーブル(The table of Silence)」があります。これらは「英雄の並木道(Avenue of Heroes)」と呼ばれる約1.5㎞の軸線上に配置され、2つの公園を結んでいます。この軸線の中央には聖ペテロ・パウロ教会が位置し、全体で都市空間と一体化しています。
ニア国立公園の洞窟群の考古学的遺産
The Archaeological Heritage of Niah National Park’s Caves Complex
ボルネオ島の西海岸に位置する「ニア国立公園」には、熱帯雨林と石灰岩に囲まれた巨大な洞窟群があります。ここは5万年にわたる人と熱帯雨林との関わりを示す証拠が数多く残されている遺産です。石器や装飾品など数々の考古学的遺物のほか、東南アジア最古の人骨も見つかっています。また、〝死者の舟〟と呼ばれる舟形の棺が見つかった洞窟には、赤いヘマタイトで描かれた先史時代の岩絵が発見されています。そこに描かれているのは、戦士や狩人を表現していると推測される人物や、周辺の森に生きる動物、そして、死んだ人の魂を死後の世界へ運ぶ舟です。これらは、当時の生活様式や複雑な葬送儀礼を今の私たちに伝えるものです。この遺産は、東南アジア島嶼地域での人類の発展過程や文化、自然環境適応力についての理解を深める上で、重要な手がかりとなっています。
ハグマターナ
Hegmataneh
バダインジャラン砂漠:砂の塔と湖群
Badain Jaran Desert - Towers of Sand and Lakes
プー・プラバート:ドヴァーラヴァティー時代のセーマ石の伝統の証拠
Phu Phrabat, a testimony to the Sīma stone tradition of the Dvaravati period
フロー・カントリー
The Flow Country
北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群
Beijing Central Axis: A Building Ensemble Exhibiting the Ideal Order of the Chinese Capital
中国の首都・北京の中心部を南北に貫く中軸線は、北の鐘鼓楼から万寧橋、景山公園、紫禁城(故宮)、天安門などを経て、南の永定門に至るまで、全長7.8kmにわたって延びています。この都市軸は、北京の歴史的中核を形づくるとともに、中国の皇帝制と伝統的都市計画の理念を現在に伝えるものです。歴史的には、元代(1271~1368年)の首都・大都の建設とともに1267年に初めて建設され、明代(1368~1644年)、清代(1636~1912年)にかけて拡張・形成されました。元代に大都が建設された際、現在の什刹海(シチャハイ)東岸周辺を基準点として、南方向に都市の軸線が設定されました。これに沿って宮城が築かれ、都市の四方の境界が画定されるとともに、街路は碁盤目状に整備されました。この軸線は中国古代に編纂された、儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルが具体化されたものでした。明代に入ると、紫禁城を中心とする内城とその南側に外城が建設され、南北へと延長されました。15世紀前半には、紫禁城の北側に景山が築かれ、東西には太廟と社稷壇(しゃしょくだん)が配置されました。さらに内城の南には天安門と正陽門が整備され、16世紀半ばまでに外城が完成すると、中軸線は永定門まで延び、現在見られる7.8kmの全体像が成立しました。その後の清代にかけて、建造物の改修や景観の整備が進められ、中軸線は皇帝制のもとで維持・発展していきました。
メルカ・クントゥレとバルチット:エチオピア高原地域の考古学的・古生物学的遺産群
Melka Kunture and Balchit: Archaeological and Palaeontological Sites in the Highland Area of Ethiopia
エチオピア高原のアワッシュ川上流域にあるこの遺産群は、200万年前から人類の集団がこの地域に居住していたことを証明する先史時代の遺跡です。海抜約2,000mから2,200mにあり、地表の下は、河川による沖積堆積物と火山起源の堆積物が凝灰岩を挟んで堆積し、比較的連続した地層構造が形成されています。堆積物の下に埋もれた古景観の断片と動植物の化石から、更新世のエチオピア高地の高山生態系を復元することができます。考古学的に正確な年代測定ができる地層からは、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、古代ホモ・サピエンスの化石が発見されています。これらは、人類が高地に居住し、低地の乾燥サバンナとは異なる高地の厳しい環境や気候条件に適応したことを示す最古の証拠の一つで、人類史の重要な段階を示すものとなっています。
モイダム:アホム王朝の墳丘墓・埋葬システム
Moidams – the Mound-Burial System of the Ahom Dynasty
ラヴノのヴィエトレニツァ洞窟
Vjetrenica Cave, Ravno
ヴィエトレニツァ洞窟は、バルカン半島に延びるディナル・アルプス山脈の一部で、ボスニア・ヘルツェゴビナ南端のポポヴォ・ポリェからアドリア海まで広がるカルスト地帯に位置します。全長は7,323.9mあり、ボスニア・ヘルツェゴビナで2番目に長い洞窟です。その存在は古くから知られ、1世紀のローマ帝国時代には、博物学者プリニウスが77年に著した『博物誌』で洞窟に言及しています。19世紀末に科学調査が本格的に始まりました。この洞窟は、世界でも有数の地下生物の多様性を誇り、固有種や適応放散、「生きた化石」と呼ばれる遺存固有種も見られます。また、洞穴生物、特に地下水生動物にとっての世界で最も重要な生物多様性ホットスポットのひとつでもあります。
レンソイス・マラニャンセス国立公園
Lençóis Maranhenses National Park
ローマ帝国の境界線:ダキア
Frontiers of the Roman Empire – Dacia
『ローマ帝国の境界線:ダキア』は、ルーマニアに残るローマ帝国の国境線(リーメス)の遺産です。ルーマニアのカルパティア山脈から黒海西方にかけての地域には、ダキア人と呼ばれる人々が暮らしていましたが、ローマ帝国との2度の戦争を経てダキアは征服されました。106年から271年まで、ダキアの国境線はローマの支配下に置かれ、ドナウ川以北に位置する唯一のローマ属州となりました。ダキアの国境線は、ドナウ川下流域から、カルパティア山脈の内縁に沿うように敷設されました。ヨーロッパにおけるローマ帝国の国境線の中で最長かつ最も複雑な区間でもあります。周辺の部族から帝国を守り、「貴重な金と塩資源」へのアクセスを提供する重大な役割も有していました。世界遺産には、1,000kmを越える国境線に沿って立つ277の要素で構成されています。要塞や土塁、監視塔、仮設野営地、民間人の居住地などの構成資産から形成されます。北方国境の強化のためローマ帝国の権力が最大限に広がった証拠といえます。