北京の中軸線:中国首都の理想的秩序を示す建造物群
故宮の北にある景山公園から、北京の中軸線を臨む

遺産DATA

地域 : 東・東南アジア 保有国 : 中華人民共和国 分類 : 文化遺産 登録年 : 2024年 登録基準 : (iii) (iv) 遺産の面積 : 5.89㎢ バッファ・ゾーン : 45.42㎢ 座標 : N39 54 26 E116 23 29

about

北京中心部を貫く7.8kmの中軸線

中国の首都・北京の中心部を南北に貫く中軸線は、北の鐘鼓楼から万寧橋、景山公園、紫禁城(故宮)、天安門などを経て、南の永定門に至るまで、全長7.8kmにわたって延びています。この都市軸は、北京の歴史的中核を形づくるとともに、中国の皇帝制と伝統的都市計画の理念を現在に伝えるものです。歴史的には、元代(1271~1368年)の首都・大都の建設とともに1267年に初めて建設され、明代(1368~1644年)、清代(1636~1912年)にかけて拡張・形成されました。元代に大都が建設された際、現在の什刹海(シチャハイ)東岸周辺を基準点として、南方向に都市の軸線が設定されました。これに沿って宮城が築かれ、都市の四方の境界が画定されるとともに、街路は碁盤目状に整備されました。この軸線は中国古代に編纂された、儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルが具体化されたものでした。明代に入ると、紫禁城を中心とする内城とその南側に外城が建設され、南北へと延長されました。15世紀前半には、紫禁城の北側に景山が築かれ、東西には太廟と社稷壇(しゃしょくだん)が配置されました。さらに内城の南には天安門と正陽門が整備され、16世紀半ばまでに外城が完成すると、中軸線は永定門まで延び、現在見られる7.8kmの全体像が成立しました。その後の清代にかけて、建造物の改修や景観の整備が進められ、中軸線は皇帝制のもとで維持・発展していきました。

古代中国の「考工記」に基づいて設計された理想的な都城

古来中国では都城の建設において、人間と天・自然の統一(天人合一)する思想や、中正と調和を重視してきました。北京はこうした思想に基づき、西に太行山脈を臨み、南西に永定河、北東に温楡河(おんゆが)という河川に挟まれた場所に築かれています。北京の中軸線は、古代に編纂された儒教に関わる経書のひとつ『周礼』の「考工記」で示された理想的な都城のモデルに基づいて設計されており、「面朝後市(前面に朝廷、背後に市場)」「左祖右社(左に祖先の廟、右に土地と穀物の祭壇)」といった原則に従い、明確な対称性を持って建物が配置されています。また、中軸線の各区間は紫禁城(故宮)の南北方向の長さを基準として比例関係にあり、中軸線全体の長さ(7.8km)はその8倍、内城区間は5倍、外城区間は3倍の長さとなっています。こうした都城計画は、東アジアや東南アジア諸国における首都の建設計画に影響を与えました。中国文明において重んじられてきた「中正と調和」の文化的伝統と、伝統的な都市管理の方法を示す証左となっています。北京の中軸線は立地、配置、機能、景観、歴史の側面から、中国の伝統的な都城計画が成熟したことを示しています。

中軸線と15の構成要素

世界遺産には、北から鐘楼・鼓楼、万寧橋、景山公園、紫禁城、太廟、社稷壇、端門、天安門、外金水橋、天安門広場、正陽門、天壇、先農壇、中軸線南区間道路遺跡、永定門の計15の要素と、これらをつなぐ軸線が登録されています。鐘楼・鼓楼は、時刻を告げ、城門の開閉を管理することで、社会の秩序を保つための重要な装置とみなされていました。万寧橋は13世紀建設の橋で、中軸線と大運河を結ぶ役割を果たしてきました。太廟は明・清の皇帝が先祖を祀るための霊廟、社稷壇は土地の神と穀物の神を祀り、五穀豊穣を祈願する国家祭祀の施設でした。両者は紫禁城の東西に位置し、「考工記」の「左祖右社」を体現しています。天壇と先農壇は国家行事や儀礼を行う場として、軸線を挟んで左右対称に配置されています。中軸線上の建造物は、建築形式と構造に統一性を保ちながら、機能や位置、重要性に応じて、規模や形態、装飾、色彩などが明確に区別されており、階層的な秩序が示されています。このように北京の中軸線では、中心性と厳格な対称性をもって建造物群が配置され、社会に中正と調和をもたらそうとする意図が反映されています。中国に現存する都市軸線の中でも最も保存状態の良い例となっています。

アクセス

【天安門広場】地下鉄1号線「天安門東」駅または「天安門西」駅で下車。
【紫禁城(故宮博物院)】地下鉄1号線「天安門東」駅または「天安門西」駅で下車。天安門と端門を抜け、午門まで徒歩20分弱。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー研究員

東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
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Details

Bell and Drum Towers
南北に延びる北京の中軸線の最北端に位置し、鮮やかな朱色の壁や灰色の瓦が目を引くのが鐘楼と鼓楼です。これらは元・明・清代の700年以上にわたって巨大な銅鐘や太鼓で街中に時を告げ、都市の時報の中心として機能しました。現存する鐘楼は清代に再建されたもので、高さ47.9m。梁のないレンガと石造りのアーチヴォールト構造が特徴で、中に重さ63トンもの巨大な銅鐘が吊り下げられています。かつては柔らかく大きな余韻のある響きを持つこの鐘の音が数十km先まで届けられていました。
Wanning Bridge
北京の中軸線上にある万寧橋は、世界遺産に登録されている『京杭大運河』を構成する玉河故道の一部でもあり、中軸線と大運河を結ぶ役割を果たしてきました。河川沿いには「運河埠頭遺跡」と刻まれた碑も立っています。北京の中軸線上で最も古い橋梁で、建設されたのは元代の13世紀です。明代に再建されましたが、その位置は元代の頃から変わっていません。万寧橋は単アーチ橋で、長さ約34.6m、幅約17m。元々は木造でしたが、後に石造に改築され、橋の路面には細長い石が敷き詰められています。橋の両側の欄干には、蓮の花と宝瓶の図案の彫刻もあり、行き交う人の眼を楽しませています。万寧橋は、水位調整する機能を持つ水門でもあります。今も橋の西側には4体、東側には2体、元・明時代の石彫刻の水獣像が残り、神獣に洪水を鎮める祈りを託した人々の思いを伝えています。
Jingshan Hill
北京の中軸線上で最も高い地点にある景山公園は、故宮の北側に位置し、明・清代にわたって皇帝の庭園として利用されてきました。高くそびえる景山(旧称・万歳山)は、明の永楽帝の時代、故宮建設のために堀が掘られた際、その土が積み上げられて形成されたものです。園内には、皇帝が宴会を催したり花見をしたりする娯楽活動の場所として、数々の宮殿や東屋、楼閣なども建てられており、その建物は南北軸に沿って対称になるように配置されています。人工的に積み上げられた山と華麗な宮殿建築が一体となって、美しい園林を作り上げているのです。1928年に一般開放されてからは、民衆の憩いの場として機能しています。山頂に登ると、南には華麗な故宮の宮殿、東には現代の高層ビル群が広がり、北京の長い歴史を体感できる雄大な景色を見渡すことができます。景山公園は四季折々で違った表情を見せるのも魅力で、園内には牡丹や芍薬などの花々が咲き、木々の葉が色づく秋には青空とイチョウ、そして紅い城壁のコントラストが人々の目を楽しませています。
Forbidden City
北京の中心部に位置する故宮は、かつて紫禁城と呼ばれ、明・清時代の約500年間、計24人の皇帝が居城とし、政治の中枢となった場所でした。清が滅びた後、「昔の宮殿」を意味する「故宮」と改称され、現在は博物館として機能しています。「紫」は天帝の在所や皇宮・朝廷を指した紫微垣に、「禁」は宮殿が一般の立ち入りを厳しく禁じていたことにそれぞれ由来して、紫禁城と呼ばれるようになったそうです。敷地は東西約750m、南北約960mと広大で、周囲は壮麗な深紅の城壁に囲まれ、四方にそれぞれ門が配置されています。ハイライトの一つが、敷地の南側、皇帝が政務を行った外朝と呼ばれるエリアに並ぶ3つの建物です。現存する中国最大の木造建造物、太和殿をはじめとする壮観な眺めを楽しむことができます。
Imperial Ancestral Temple
中軸線上にある天安門の東側に位置する太廟は、1420年に建立され、明・清の皇帝により祖先をまつるために使われた聖地です。祖先をまつることは中国の伝統社会において極めて重要な意味を持ち、北京では元・明・清時代にわたって多くの壮大な祭祀建造物が建てられました。その中でも最大規模かつ最も格式高い建築群が太廟です。敷地は南北475m、東西294mの長方形で、三重の大きな塀に囲まれています。塀の中には、南から北にかけて3つの殿堂形式の建物、前殿・中殿・後殿が並びます。最も格式が高いのが大殿とも呼ばれる前殿で、皇室の祖先の位牌が納められ、皇帝が大きな祭祀を行った場所でした。故宮と同じく赤い壁と黄色の釉薬瓦の屋根が特徴の建築群は、日差しを遮る高い古木に囲まれ、荘厳で落ち着いた雰囲気に包まれています。1951年に一般公開された太廟は、今では歴史博物館として皇族の歴史とその威厳を伝えています。
Upright Gate
端門は、明・清両時代に皇帝の儀礼用品を保管していた場所で、同時に儀仗を整備する場でもありました。端門の両側には官吏が休んで待つ部屋もあり、皇帝が儀礼を執り行う朝堂空間を構成していました。北京の中軸線上では、北側にある故宮南面の午門と、南側にある天安門の間に挟まれた位置にあります。建物は壮麗な装飾に彩られ、天安門や午門と共に美しい軸線を描いて皇宮建築の威厳を引き立てる重要な門戸の一つとなっています。2018年には、故宮博物院が展示施設「端門デジタル館」を開設。明、清時代の紫禁城をVR技術で再現した作品が、館内のVRシアターで一般公開されました。
Tiananmen Square
都心にある世界最大の広場とされる天安門広場は、明・清両時代、皇帝が政務を行った紫禁城(現在の故宮)の正門の外にあった宮廷広場でした。1912年以降、徐々に開放型の現代的な公共広場として整備され、現在の姿になりました。広場の重要な構成要素である天安門は明代に建てられました。かつては承天門と呼ばれていましたが、清時代に改築され、天安門と呼ばれるようになったそうです。北側と南側にはそれぞれ、宮殿前に建てられるような装飾性の高い石柱が一対ずつ配置されています。天安門は国家の儀礼の象徴でもあり、広場で繰り広げられた国家の歴史的瞬間を見守り続けてきました。広場には他にも、人民英雄記念碑、毛主席記念堂、人民大会堂、中国国家博物館などの建物が並び、荘厳な都市空間を形成しています。北京の中軸線における建築景観に調和した空間は、20世紀後半の中国において最も重要な建築上の成果の一つとされています。

遺産DATA

分類 : 文化遺産
登録年 : 2024年
登録基準 : (iii) (iv)
遺産の面積 : 5.89㎢
バッファ・ゾーン : 45.42㎢
座標 :N39 54 26 E116 23 29

アクセス

【天安門広場】地下鉄1号線「天安門東」駅または「天安門西」駅で下車。
【紫禁城(故宮博物院)】地下鉄1号線「天安門東」駅または「天安門西」駅で下車。天安門と端門を抜け、午門まで徒歩20分弱。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー研究員

東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
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