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ボローニャのポルティコ群
The Porticoes of Bologna
ボロブドゥールの仏教寺院群
Borobudur Temple Compounds
『ボロブドゥールの仏教寺院群』は、ジャワ島中部にある仏教の石造遺跡群です。8〜9世紀にかけてシャイレンドラ朝によって建設されました。インドから伝播した仏教の流れは、主に東南アジア方面で広まった「上座部仏教」と、中国経由で日本にも伝わってきた「大乗仏教」に大別されますが、この遺産は大乗仏教の寺院遺跡です。王朝がわずか100年で滅亡すると、近くにあるムラピ山の火山灰に埋もれ、植物に覆われて忘れ去られていきました。それから約1,000年後の1814年、英国のジャワ総督代理とオランダ人技師により、密林の中から「発見」されました。最大規模のボロブドゥール寺院、ムンドゥー寺院とパウォン寺院から構成され、3つの寺院はほぼ東西一直線に並んでいます。
ポロンナルワの古代都市
Ancient City of Polonnaruwa
スリランカ中部にあるポロンナルワは、『聖地アヌラーダプラ』に次ぐシンハラ王国第二の都市です。シンハラ王国は10世紀末に南インドのチョーラ朝に侵略されたのですが、約80年かけて反撃した結果、1070年にチョーラ朝を撃退しました。しかし、長きにわたる抗争が影響して、都であったアヌラーダプラは荒廃していたので、ポロンナルワに都が遷されました。ポロンナルワが全盛期を迎えるのは12世紀後半であり、時の王はパラークラマ・バーフ1世でした。彼は灌漑施設を充実させ、さらに王宮の西側にあった貯水池を南北約9㎞にまで拡張したため人々を驚かせました。この貯水池は「パラークラマ・サムードラ(パラークラマの海)」と称され、王は人々から崇拝され、彼の後を継いだニッサンカ・マッラの時代でも繁栄は続きました。
ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋)
Pont du Gard (Roman Aqueduct)
フランス南部オクシタニー地域に位置する「ポン・デュ・ガール」は、紀元前19年頃に古代ローマの政治家アグリッパが建設を命じた水道橋です。古代ローマの植民都市ネマウスス(現在のニーム)に水を供給するために1世紀中頃に建設された全長約50kmの水道の一部で、ユゼス近郊のウールの泉から水を運ぶ役割を果たしていました。水道橋は三層構造となっており、最上部までの高さは49m、水路部分の長さは下層から142.35m、242.55m、275mと上層になるほど長くなっています。岩盤の上に築かれた水道橋は、地形と調和しながら力強いラインを描いており、ローマ建築技術の偉業であると同時に、風景を一変させる芸術作品でもあります。
ポントカサステ水路橋と運河
Pontcysyllte Aqueduct and Canal
ポンペイ、エルコラーノ、トッレ・アヌンツィアータの考古地区
Archaeological Areas of Pompei, Herculaneum and Torre Annunziata
西暦79年、ナポリの東にあるヴェスヴィオ山が大噴火しました。その噴火の火砕流・土石流や火山灰で周辺の古代ローマの都市は壊滅しました。ヴェスヴィオ山の南にあったポンペイの街はそれから千年以上にわたり、火山灰と火山礫に埋もれたままでしたが、16世紀に農民が偶然発見し、18世紀半ばから本格的な発掘が始まりました。ヴェスヴィオ山のすぐ西側にあったヘルクラネウム(現エルコラーノ)も高温の火砕流に襲われた後、火山灰に埋もれました。これらの街で発掘された遺跡から、広場や公共の建築物があり、石で舗装された通りの両側に住宅や店舗が並ぶ古代ローマの街並みを知ることができます。ポンペイ近郊の町トッレ・アヌンツィアータには皇帝ネロの妻ポッパエアの別荘「オプロンティスのヴィラ」が発掘されています。
マウォポルスカ南部の木造教会群
Wooden Churches of Southern Małopolska
ポーランド南部にあるマウォポルスカには、中世のローマ・カトリック文化の教会建築の様相を伝える木造教会群が点在しています。中世のポーランドでは、王侯や貴族、聖職者など限られたパトロンのみが教会を建設することがきました。木造教会は社会的・政治的威信の象徴となり、村や集落のランドマークであり、共同体の文化的なアイデンティティと結びついた存在でした。世界遺産に登録されたのは、15~18世紀にかけて建てられた6つの木造教会群です。いずれもゴシック様式で、北欧や東欧地域では一般的だった丸太を水平に積み上げて造る工法で建設されました。これらの教会の建設において採用された独特な構造は、この地域固有のものです。
マウルブロンの修道院関連建造物群
Maulbronn Monastery Complex
1147年に設立されたシトー会のマウルブロン修道院は南ドイツに位置します。アルプス以北で最も完全かつ保存状態の良い中世修道院群とされています。城壁に囲まれた主要な建物は12世紀から16世紀にかけて建造されたもので、ロマネスクからゴシックへの過渡期にあたります。聖堂は三廊式で、縦に長いラテン十字型のプランを持つロマネスク様式で創建されましたが、13世紀の初めにゴシック様式の柱廊玄関ホールなどが加えられました。北ヨーロッパから中央ヨーロッパの多くの地域のゴシック建築の普及に大きな影響を与えたと考えられています。修道院は町外れに位置し、かつ城壁に囲まれていることから市街地とは明確に区別され隔たれており、これは第一世代のシトー会建築の典型例の一つです。また、併設されていた神学校は、作家のヘルマン・ヘッセや詩人のフリードリヒ・ヘルダーリンなどが学んでいたことでも知られています。ヘッセの自伝的小説である『車輪の下』はマウルブロン神学校での体験を元にしているとされています。
マカオの歴史地区
Historic Centre of Macao
中国大陸の南岸、珠江デルタに位置するマカオ(澳門)は、ポルトガルのアジア貿易の拠点となった港街です。元は漁村であり、福建省から中国沿岸を航海する船乗りが立ち寄る中継地でした。ポルトガル人が最初に中国へたどり着いたのは明代の1513年のこと。1557年に明王朝から居住権が与えられ、東アジアで最初のヨーロッパ入植地となると、数多くのカトリック教会や礼拝堂が築かれていきました。 17世紀になると、ポルトガルはオランダをはじめとする他のヨーロッパ列強諸国を 遠ざけるため、マカオに要塞を築きました。1849年、ポルトガルはマカオを自由貿易港と宣言し、1889年にはポルトガル領植民地となりました。イギリス領の香港が発展していくと、次第に貿易の中心は香港へと移り、マカオは外国人の別荘地となりました。1999年に中国へ返還され、現在は特別行政区です。
マサガン(アル・ジャジーダ)のポルトガル都市
Portuguese City of Mazagan (El Jadida)
マサダ国立公園
Masada
マダラの騎馬像
Madara Rider
ブルガリア北東部のマダラ高原には、8世紀から9世紀の前半頃に彫られたとされる、 巨大な騎士のレリーフがあります。レリーフは、高低差が100mある断崖にあり、高さ23mの位置に、縦2.5m、横3mにわたって彫られた巨大なもので、犬を従えた馬上の騎士が、馬にライオンを踏みつけさせている姿が描かれています。制作方法等は未解明です。周囲に残るギリシャ語の碑文から、ブルガリアの英雄であるテルヴェル・ハーンを描いたものと推測されていますが、聖ゲオルギオスという説もあり、定かではありません。この独特なレリーフは、ブルガリアで最初に登録された世界遺産のひとつで、また、ブルガリアのコインにも描かれています。テルヴェル・ハーンは中世ブルガリアの英雄で、ビザンツ帝国皇帝ユスティニアヌス2世を助け、皇帝からカエサルの称号を授かったと伝えられています。
マテーラの洞窟住居サッシと岩窟教会公園
The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera
「サッシ」とはイタリア語で岩を意味するサッソ(sasso)の複数形で、ここマテーラにおいては洞窟住居を指します。イタリア南部バジリカータ州のマテーラには深いグラヴィーナ渓谷があり、その石灰岩層に約3,300の洞窟と150以上の岩窟教会が残されています。洞窟住居は約7,000年前から造られ始め、その後屋根等を拡張して居住スペースを広げたものも多く造られるようになりました。しかし、20世紀になって人口が急増し、住環境や衛生状態が悪化したため、1950年代に住民1万5,000人が郊外に強制的に移住させられ、無人の廃墟となってしまいました。近年は世界遺産登録を契機に観光客が増加し、洞窟の5分の1ほどが再利用されているということです。ここには旧石器時代の遺跡もあり、古代からの人々の生活の様相と文化を伝える歴史的価値が高く評価されています。
マトボの丘群
Matobo Hills
マドリードのエル・エスコリアール修道院と王立施設
Monastery and Site of the Escurial, Madrid
マドリウ・パラフィタ・クラロー渓谷
Madriu-Perafita-Claror Valley
マハーバリプラムの建築と彫刻群
Group of Monuments at Mahabalipuram
マフラの王家の建物:宮殿、バシリカ、女子修道院、セルコ庭園、狩猟公園(タパダ)
Royal Building of Mafra – Palace, Basilica, Convent, Cerco Garden and Hunting Park (Tapada)
マプングブエの文化的景観
Mapungubwe Cultural Landscape
マラケシュの旧市街
Medina of Marrakesh
マラムレシュの木造教会群
Wooden Churches of Maramureş
マリブ:古代サバ王国の代表的遺跡群
Landmarks of the Ancient Kingdom of Saba, Marib
サバ王国は、紀元前8世紀~紀元3世紀ごろ、イスラーム以前の南アラビアに存在した古代王国です。厳しい砂漠地帯でありながら、高度な技術により灌漑施設を建設し、オアシス都市として栄えました。都のマリブは、乳香を扱う隊商交易のルートにも組み込まれ、南アラビアの経済・文化の中心地となります。ユダヤ教・キリスト教の聖典である『旧約聖書』には、“シェバの女王”が古代イスラエルの王ソロモンを訪ね、香料などを贈る場面が描かれています。この“シェバの女王”がサバ王国の女王と考えられています。イスラームの聖典である『コーラン(クルアーン)』にも、“サバア(シェバ)王国の女王”がソロモン王と対峙する話があり、「大金持ち」で「賢い」女王という記述もあります。中世アラビアの文献にもサバ王国の繁栄ぶりが記され、後世に伝えられています。
マルタの巨石神殿群
Megalithic Temples of Malta
マルボルクのドイツ騎士修道会の城
Castle of the Teutonic Order in Malbork
マンダラ山脈のディ・ギッド・ビィの文化的景観
Diy-Gid-Biy Cultural Landscape of the Mandara Mountains
マントヴァとサッビオネータ
Mantua and Sabbioneta
ミーソン聖域
My Son Sanctuary
ミール城と関連遺産群
Mir Castle Complex
ミクナースの旧市街
Historic City of Meknes
ミケーネとティリンスの考古遺跡
Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns
ホメロスの『イリアス』を史実と信じ、トルコのトロイア遺跡を発掘したシュリーマンは、あまりにも有名な考古学者です。彼はさらに、「黄金に富める国」と謳われたミケーネを求めて発掘を続けました。トロイア遺跡発掘から3年後の1876年、彼はついにミケーネの都市遺跡から円形墳墓や黄金のマスクなどを発見し、歓喜したのです。ミケーネを中心とするミケーネ文明は紀元前1600年から前1100年の間に地中海世界に広がった文明であり、クレタ文明と並ぶエーゲ文明の代表的な文明として知られています。戦士を社会の中枢に据えた武力社会だったとされ、海洋的と評されたクレタ文明とは真逆の社会だったようです。また、ミケーネの支配下にあったティリンスもシュリーマンにより発見され、同じく世界遺産に登録されています。