勝道上人が開いた山岳信仰の寺院
輪王寺は、日光を開山した勝道上人が、766年に神橋の近くに建てた四本龍寺を起源としています。810年に朝廷から満願寺の名が与えられ、最澄の弟子にあたる円仁が訪れてから天台宗の寺となりました。その後、豊臣秀吉に寺領を没収されて衰退しましたが、徳川家康に仕えた高僧の天海により再興されました。1655年に輪王寺の寺号が与えられ、日光山の中心となる寺院として発展しました。輪王寺の建造物群は広域に分散しています。徳川家光の霊廟である大猷院の本殿・相の間・拝殿が国宝に指定され、輪王寺本堂である三仏堂など、37棟が重要文化財に指定されています。

日光三山の本地仏を祀る本堂
輪王寺の本堂である三仏堂は、東日本では最も大きな木造の建物です。848年に稲荷川沿いの滝尾神社の近くで創建され、鎌倉時代に現在東照宮がある場所に移りました。江戸時代の東照宮の造営に伴い、現在の二荒山神社本宮の東側に移転し、1647年に大きな伽藍となりました。そして、明治期の神仏分離令により、1879年に東照宮南側の現在の位置に移転されました。造営以後の移築の繰り返しなどで、形式の一部に変更が見られましたが、調査資料に基づいた昭和と平成の修理により、屋根を除いて造営当初の形式に復旧され、江戸時代前期の形式をよく現しています。三仏堂という名前は、日光三山を神体とみて、その本地仏である千手観音(男体山)、阿弥陀如来(女峰山)、馬頭観音(太郎山)の3体の仏像を安置していることによります。3体とも台座を含めた高さが8mにもなる寄木造で金箔が施された仏像です。
祖父である家康を尊敬した家光の霊廟
大猷院は東照宮の西側にある徳川三代将軍家光の霊廟です。家光が没した1651年から僅か1年2カ月という短期間で完成しています。入り口にあたる仁王門を抜けて、二天門、夜叉門、唐門を通って行くと、拝殿に至ります。大猷院霊廟の建築様式は、拝殿から相の間、本殿までを繋ぐ権現造ですが、東照宮の「石の間」にあたる「相の間」は、床が拝殿と同じ高さにして、中殿の形式をとっています。また、本殿の屋根を二層にするなど、東照宮の権現造とは形式の相違が見られます。拝殿は64畳の広さがあり、天井には、狩野一門の合作とされる140の龍が描かれています。拝殿入り口の正面には、狩野探幽とその弟である永真の合作による唐獅子の壁絵があります。大猷院の建築は、黒と金を基調とし、縁取りには朱を使用しています。東照宮と比較すると地味な印象で、落ち着いた重厚感のある建築物となっています。家康公(東照宮)を凌いではならないという家光の遺言が反映されているそうです。

執筆協力者PROFILE
米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。
執筆協力者PROFILE
米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。