広域に立地する東照宮以外の神道建造物の総称
二荒山神社は、日光の山岳信仰の中心として古くから崇拝されてきた神社です。日光三山と呼ばれる男体山、女峰山、太郎山の3つの山を神として崇め、それぞれを大己貴命、田心姫命、味耜高彦根命とみなし、祭神として祀ってきました。中世に多くの社殿が造営され、江戸時代に徳川幕府により新宮と呼ばれる本社が整備されました。二荒山神社は、日光山内にある東照宮以外の神道建造物の総称で、世界遺産として登録されているのは、重要文化財に指定されている23の建造物です。それらの建造物群には、新宮にある本殿、拝殿、神輿舎、別宮にある本宮神社、滝尾神社、そして日光山内入り口に掛かる神橋が含まれ、広域に立地しています。

徳川幕府が整備した新宮社殿
東照宮の西側にある新宮の本殿と拝殿は、1619年に造営されました。本殿は、華やかで複雑な彩色や塗装がなされ、彫刻などの装飾は創建当時の様式を伝えています。建物正面は千鳥破風、向拝の軒には唐破風が見られます。一方、拝殿も創建当時の様式を残していますが、本殿とは異なり彩色文様や彫刻は見られません。本殿は、「八棟造」と呼ばれる建築様式で、入母屋造の屋根、破風、向拝が複雑に入り組んだ構造です。また、本殿と拝殿を「石の間」でつなぐ配置となっていて、東照宮や大猷院で見られる権現造の原型とされています。拝殿の西側にある神輿舎は、1617年に東照宮の仮殿拝殿として造営されたものを、現在の場所に移し替えたものです。素木の入母屋造で、創建当時の東照宮建築を残す唯一の建物です。建物内部には、毎年4月13日から17日まで5日間、春を告げる例大祭である弥生祭に使われる御輿三基が納められています。

日光発祥の歴史を表す建造物群
日光山内の入り口となる大谷川に掛かる朱漆塗りの橋が、神橋で、日光のシンボルとなっています。この橋には伝説があり、日光山を開いた勝道上人が行く手を川に阻まれたとき、2匹の蛇が川に掛かり、蛇の背中に山菅が生えて橋となったとされています。朱塗りの橋となったのは1636年の寛永の大造替の時で、その後1902年の洪水で流失しましたが、1904年に元の形式で再建されました。神橋から北へ100mほど行った場所に、本宮神社があります。勝道上人が790年に小さな祠を建てたのが始まりで、二荒山神社の発祥の地と言えます。現在の社殿は1685年に再建されたもので、本殿背面の扉からは神体山である男体山を拝むことができます。新宮にある本社、本宮神社とともに、日光三社とされているのが滝尾神社です。新宮から北西に1㎞ほど離れた山中にあり、田心姫命が祀られています。本殿背面の扉からは神体山である女峰山を拝むことができます。本宮神社と滝尾神社は、別宮と呼ばれています。
執筆協力者PROFILE
米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。
執筆協力者PROFILE
米国総合化学会社の日本法人にて海外人事部門などで40年間勤務した後、筑波大学大学院人間総合科学研究科世界文化遺産学専攻の博士課程を修了。博士(世界遺産学)。日本造園学会会員。日本シルク学会会員。元大東文化大学国際関係学部非常勤講師。