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カルカッソンヌを守り、王権の支配を支えた防衛網
フランス南西部、旧カルカッソンヌ地方行政管区内に残る、カルカッソンヌ城、アギラール城、ラストゥール城、モンセギュール城、ペイルペルテューズ城、ピュイローラン城、ケリビュス城、テルム城の8つの要塞群で構成されています。これらはアルビジョワ十字軍(1208~1229年)後、13~14世紀にカペー朝の王たちによって整備された地域防衛システムを代表する要塞群です。オード川流域を中心とする山岳地帯に位置し、石灰岩の尾根や岩峰の頂上に築かれました。要塞に辿り着くには狭い峠道を越えなければならず、防衛上有利な場所に立地しています。北フランスで発展したカペー朝の軍事建築を基礎としながらも、険しい地形に合わせて城壁や塔の配置が工夫され、周囲の景観と一体化するように設計されました。カペー朝で唯一、統一的に計画された防衛網であり、監視と防衛、領土統治を目的として戦略的に配置されています。
アルビジョワ十字軍とカペー朝王権の南方拡大
12~13世紀頃、カルカッソンヌ地方を含む南フランスでは、カタリ派と呼ばれるキリスト教の宗教運動が広く信仰されていました。カタリ派は厳粛な戒律をもち、現世を悪とする二元論を特徴とする独自の教義を説いていましたが、ローマ・カトリック教会の権威を否定したため弾圧を受けました。12世紀にカタリ派は異端として禁止されますが、信徒の数は増加を続けたことから、1209年にローマ教皇インノケンティウス3世はアルビジョワ十字軍を組織し、カタリ派の征伐を行いました。その後、1226年にフランス王国の地方行政管区が設けられ、行政・軍事の拠点がカルカッソンヌ城に置かれると、その周囲に要塞群が整備され、新たに獲得した領土を統治し、防衛する体制が整えられていきました。これにより、それまで封建領主の影響が強かった南フランスにも、フランス王国(カペー朝)の支配が及び、中央集権化が大きく進みました。要塞群は王権の力を示し、異端者とみなされた住民を監視するだけでなく、南方のアラゴン王国との国境線をも担い、16世紀頃まで軍事拠点として利用されました。
カルカッソンヌ城と5人息子の要塞群
要塞群の中心となったのが、カルカッソンヌ城です。建設当初は四角形の建造物を塔と城壁で囲んだシンプルな構造でした。アルビジョワ十字軍後、既存の防御施設は大幅に改修され、町は二重の城壁で囲まれるようになりました。内側の城壁には約20基の側防塔や、主要な門を守るためのバルバカン(砦)が設置され、16世紀には火薬兵器に対応できるように改修されました。19世紀になるとカルカッソンヌは軍事拠点としての重要性を失い、1918年までに軍隊は完全に撤退しました。一方、アギラール城、ペイルペルテューズ城、ピュイローラン城、ケリビュス城、テルム城は、本拠地のカルカッソンヌを防衛するための要塞群として機能し、「カルカッソンヌの5人息子」と呼ばれました。これらの要塞群は、13~14世紀におけるカペー朝王権の拡大と統治体制の強化、そして中央集権君主制への移行を物語っています。
アクセス
日本からフランス・パリのシャルル・ド・ゴール国際空港まで飛行機で約15時間。そこからトゥールーズ・ブラニャック空港まで、飛行機で約1時間半。そこからカルカッソンヌ駅まで電車で2時間弱。パリからカルカッソンヌ駅まで電車を利用する場合は6時間半~7時間かかる。
執筆協力者PROFILE
東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧
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日本からフランス・パリのシャルル・ド・ゴール国際空港まで飛行機で約15時間。そこからトゥールーズ・ブラニャック空港まで、飛行機で約1時間半。そこからカルカッソンヌ駅まで電車で2時間弱。パリからカルカッソンヌ駅まで電車を利用する場合は6時間半~7時間かかる。
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東京外国語大学言語文化学部卒。在学中にパレスチナやヨルダンなど中東地域への留学を経験。大手メディア企業勤務を経て、2021年より現職。書籍やテレビ番組等の監修を行う。
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