ノートル・ダム・デュ・オ礼拝堂(ロンシャンの礼拝堂)
コルビュジエ後期の曲線を多用した設計。カニの甲羅が着想源のひとつといわれる

ノートル・ダム・デュ・オの丘の歴史

フランス北東部ヴォージュ山脈の南、ロンシャンに位置するノートル・ダム・デュ・オの丘は、11世紀以前の歴史はよく分かっていませんが、その地形から古代には戦略上重要な場所であった可能性があり、ローマ軍の駐屯地があったとも考えられています。カトリック修道会であるドミニコ会の巡礼地として6世紀末には礼拝所が設けられ、9世紀には毎年9月8日に聖母マリアの誕生祭を祝い、祈りをささげる巡礼者たちが訪れていたようです。残念ながら、当時の礼拝堂の姿を伝える資料は残っていません。20世紀に入ると、8月15日の聖母被昇天を祝う巡礼が行われるようになりました。第二次世界大戦中、ロンシャンは爆撃を受け、ノートル・ダム・デュ・オの丘の礼拝堂は破壊され、ドイツ軍の軍用無線局や観測所が置かれました。戦後、礼拝堂再建の設計が建築家ル・コルビュジエに依頼されました。彼は当初、教会のために働くことを拒否していましたが、1950年にロンシャンを訪れ、そこで目にした風景に心を奪われ、この依頼を受けることを決意したのです。1955年にル・コルビュジエによって礼拝堂が完成し、その後1970年代にジャン・ブルーヴェが鐘楼を、2011年にレンゾ・ピアノが聖クララ修道院と案内所を設計しました。この丘全体が、歴史的、芸術的、精神的価値を併せ持つ場所となったのです。

困難を極めた建設から生まれた内なる喜びの場所

1953年に始まった礼拝堂の建設は、水道も道路もなく、発電機が1台あるだけという厳しい状況の中で進められました。コンクリートは雨水を活用しながら現地で練られ、バケツを使って人力で建設現場まで運ばれました。ル・コルビュジエは、「偉大な芸術は貧しい手段の中に生きる」と語り、旧礼拝堂の石材やセメント、鉄鋼など簡素で安価な材料を用いて建設を行いました。礼拝堂の特徴的な外観は、ル・コルビュジエがアメリカの浜辺で見つけたカニの甲羅から着想を得たと言われています。曲線の複雑さや、薄いコンクリート外壁の施工によって、工事は困難を極めましたが、ル・コルビュジエは「この礼拝堂を建てることで、静寂と祈り、平和、そして内なる喜びの場所をつくりたかった」と語っています。

シンプルに統一された芸術的な内部空間

ル・コルビュジエは礼拝堂について、「内部はただの空間ではなく彫刻のようだ。壁や天井、床のすべてが無駄をそぎ落とした驚くほどシンプルなかたちで構成されている」と書き残しています。装飾のない内部空間は、漏斗状に祭壇へ向かって広がる独特の形をしています。三つの小礼拝堂が設けられており、そのひとつは赤く塗られ、朝の光を受けたその空間は炎のような強い輝きを放つ瞑想と祈りの場になるのです。聖母像や装飾、絵画や家具など、多くの要素がル・コルビュジェ自身によって設計されており、空間全体が統一された芸術作品になっています。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧