構成資産DATA
南山手3番地にある一本松と洋風建築
「旧グラバー住宅」は、南山手と呼ばれる居留地に位置する、現存する日本最古の木造洋風建築です。1858(安政5)年、日米修好通商条約の締結によって開港した長崎では、港を望む丘陵地に外国人居留地が定められました。1859(安政6)年、スコットランド出身のイギリス人貿易商トーマス・ブレーク・グラバーは21歳で来日します。南山手3番地の大きな松の木のすぐ横に邸宅を建てたグラバーは、この邸宅に「IPPONMATSU」という愛称を付けました。このことから、邸宅は「一本松邸」とも呼ばれました。

開放的なベランダを持つ木造平屋建て住宅
旧グラバー住宅は、大浦天主堂などを手掛けた小山秀之進が施工を指揮したとされる木造平屋建ての住宅です。当初はL字型の建物でしたが、増築を重ねて、明治半ばには現在とほぼ同様のクローバー型になりました。漆喰の土壁と桟瓦葺きの屋根を持つこの建物には、菱格子の天井を持つ広々としたベランダが備わっています。石畳の床に立つ木製の円柱や、柱の間を飾る欄間が開放的な空間を演出しています。1863(文久3)年に建てられたものであることは、1966(昭和41)年から2年間にわたって行われた解体修理のときに発見された墨書によって確認されました。
グラバー親子2代が暮らした住宅の歴史
1862(文久2)年、貿易会社「グラバー商会」を設立したトーマス・ブレーク・グラバーは、薩摩藩、長州藩、土佐藩を支援し、造船・炭鉱・鉄道といった新しい技術を日本にもたらしました。グラバー商会は、幕末から明治維新への激動期を支えた物資の調達を担ったとされています。1870(明治3)年にグラバー商会が倒産した後も、グラバーは1877(明治10)年に三菱の顧問として上京するまで、ここを自宅として使い続けました。長崎を離れてからは、他の外国人居留者に貸し出されていましたが、1909(明治42)年以降は、息子の倉場富三郎と妻のワカが暮らしました。1939(昭和14)年に住宅は三菱重工長崎造船所に売却され、さらに第二次世界大戦後は進駐軍に接収されます。接収解除後、長崎造船所は旧グラバー住宅の所有権を取り戻して社内施設として利用していましたが、1957(昭和32)年、長崎造船所開設100周年を記念して長崎市に寄贈されました。
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧
構成資産DATA
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧