明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業
海底炭坑で採掘が行われた、通称「軍艦島」と呼ばれる端島

遺産DATA

地域 : 東・東南アジア 保有国 : 日本国 所在地 : 【福岡県】北九州市、大牟田市、中間市【佐賀県】佐賀市【長崎県】長崎市【熊本県】荒尾市、宇城市【鹿児島県】鹿児島市【山口県】萩市【岩手県】釜石市【静岡県】伊豆の国市 分類 : 文化遺産 登録年 : 2015年 登録基準 : (ii) (iv) 遺産の面積 : 3.0666㎢ バッファ・ゾーン : 24.0833㎢ 座標 : N33 52 25 E130 48 21(官営八幡製鐵所)

about

50年余りという短い期間に達成された急速な工業化

「明治日本の産業革命遺産」は23件の構成資産からなり、九州5県(福岡県、長崎県、佐賀県、鹿児島県、熊本県)、山口県、岩手県、静岡県の全国8県11市に点在しており、シリアル・ノミネーションとして登録されています。現在も稼働中の資産を含むため、文化財保護法だけでなく、港湾法や景観法などを組み合わせて保護計画が立てられており、文化庁だけでなく内閣官房が推薦を行いました。江戸末期から明治時代の約半世紀という短い期間で近代化を達成し、すでに産業革命を成し遂げていた西欧の技術を学ぶことで、急速な産業化を果たした歴史的価値を証明する産業遺産群です。これは、西洋から非西洋諸国への工業化の移転が初めて成功した事例であるといえます。19世紀半ばから20世紀初頭にかけて、日本は特に防衛面の要請に応えるため、「製鉄・製鋼」、「造船」、「石炭産業」を基盤に急速な産業化を成し遂げました。

3つの段階に分けられる急速な工業化

1850年代から1910年までのわずか50年余りという短期間に達成されたこの急速な工業化は、大きく3つの段階に分けられます。第1段階は、1850年代から1860年代にかけて徳川将軍家の統治が終わりを迎える幕末に、海外との交流が閉ざされた海禁体制下で製鉄や造船に試行錯誤しながら挑戦していた時代です。第2段階は、1860年代から明治維新を経て西洋の科学技術が導入され、西洋の専門家のもとで専門知識の習得が行われた時代です。第3段階は、1890年から1910年の明治時代後期において、国内に専門知識をもつ人材が育ち、日本独自のスタイルに改良された方法で産業化を進めた時代です。

鋼鉄を生産する日本初の銑鋼一貫製鉄所

官営八幡製鐵所は、明治維新後の産業近代化に伴う鉄鋼需要の高まりに対応するため、鋼鉄を生産する日本初の銑鋼一貫製鉄所として1897年に着工され、1901年に操業を開始した官営工場です。日清戦争の下関条約によって莫大な賠償金を得た日本は、筑豊炭田に近く洞海湾に面した八幡村に、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社の設計・施工により製鉄所を建設しました。1910年には、国内鋼材生産量の90%以上を担っていました。官営八幡製鐵所は、「旧本事務所」、「修繕工場」、「旧鍛冶工場」で構成されています。「旧本事務所」は、八幡製鐵所の操業2年前の1899年に完成した初代本事務所で、中央にドームをもつ赤レンガ造りの2階建てであり、屋根は日本瓦葺きです。「修繕工場」は、製鐵所で使用する機械の修繕や部材の製作・加工を目的に1900年に建設された日本最古の鉄骨建造物で、現在も現役の工場として使用されています。「旧鍛冶工場」は、製鐵所建設に必要な鍛造品の製造を目的として1900年に建設された鉄骨建造物です。

 

アクセス

執筆協力者PROFILE

アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。

Properties

Shokasonjuku Academy
松下村塾は、幕末期に産業革命の担い手となる人材の育成に貢献した、吉田松陰が主宰した私塾です。松陰は、欧米の軍事力の増大に危機感を抱いたことから海防の必要性を主張し、日本が自力で産業化を実現することが重要であると呼びかけました。松下村塾では、儒学、兵学、史学などの学問が、尊皇攘夷を軸として教授され、塾生同士による活発な議論が繰り広げられていました。松陰は身分や階級にとらわれず、人々を塾生として迎え入れて人材育成に当たり、後に明治維新において活躍することとなる逸材を育てました。
Mitsubishi No.3 Dry Dock
三菱長崎造船所内にある「第三船渠」は、1901(明治34)~1905(明治38)年にかけて建設されました。船渠とは、船の建造・修理・点検などを行うための大型施設のことで、英語では「ドック」と呼ばれます。陸地を掘り込んで作ったプール状の施設に船を入れた後、水門を閉めて排水し、船体を完全に露出させて作業を行う施設をドライドックと呼びます。入り江の地形を生かして建設された第三船渠は、当時動力として一般的だった蒸気機関ではなく、電気で駆動するイギリス製の排水ポンプを備えていました。当時東洋最大のドライドックとして開渠した後も、船の大型化にともない、1943(昭和18)年、1957(昭和32)年、1963(昭和38)年の3度にわたり施設が拡張されています。竣工から100年以上が経過した現在も第三船渠は船の修理に使用されており、建設当時の電気モーターと排水ポンプは今なお現役で稼働しています。施設は一般非公開です。
Mitsubishi Giant Cantilever Crane
三菱長崎造船所内に建設され、100年以上経った現在も稼働している「ジャイアント・カンチレバークレーン」は、同型機として世界最古のものです。1909(明治42)年、三菱合資会社時代に日本で初めて導入されたスコットランドのアップルビー社製の電動クレーンで、大型船舶の部品を吊り上げるための最新造船設備でした。このクレーンの完成により、日本の造船技術は世界レベルへと成長したのです。同型の現存クレーンは世界で11基、日本国内には3基と数少なく、スコットランドが海外に輸出した同型機としても大変貴重な設備です。1960年代に現在の場所へと解体・移設されました。施設は一般非公開ですが、その姿は対岸の水辺の森公園やグラバー園、軍艦島クルーズ船などから見ることができます。老朽化の進行具合を調査するため、2026年12月にはクレーンの上部構造が地上に降ろされる予定です。
Mitsubishi Former Pattern Shop
長崎造船所内にある史料館は、1898(明治31)年、三菱合資会社長崎造船所の鋳物工場に併設された「木型場」として建設されました。イギリス積みで積まれた赤煉瓦造り2階建ての建物の内部は、屋根を支える柱や梁に木材が使用されており、長崎造船所に現存する最古の工場建屋です。当時は動力が蒸気機関から電力へと移り変わる時期であり、1897(明治30)年の中央発電所建設にともなう造船所の電化にあわせて、機械部品やプロペラなどの鋳物製造のための木型を製作するための場所でした。その後、1985(昭和60)年に史料館として開館し、長崎造船所の歴史や日本最古のオランダ製工作機械の竪削盤などの貴重な資料を展示しています。(※資料館は2026年9月現在休館中)
Mitsubishi Senshokaku Guest House
「占勝閣」は、長崎造船所第三船渠を見下ろす丘の上に位置する、ベランダや尖塔が特徴的な木造2階建ての洋館です。三菱合資会社時代の1903(明治36)年、長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として着工され、翌年完成しました。占勝閣を設計した建築家の曾禰達蔵(は、工部大学校で鹿鳴館の設計者として知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事した人物です。1905(明治38)年、ここに宿泊した軍艦千代田艦長の東伏見宮依仁親王が、この洋館を「風光景勝を占める」という意味を持つ「占勝閣」と命名しました。以後、占勝閣は長崎造船所の迎賓館として使用されるようになりました。現在も建てられた当時の姿をそのまま留め、迎賓館として船舶の命名式などの祝賀会や貴賓の接待に使用されています。一般には非公開の施設です。
Takashima Coal Mine
高島炭坑は、長崎港の沖合14.5㎞に位置する高島にある西彼杵海底炭田の一部です。1695(元禄8)年、平戸出身の五平太によって石炭が発見されたと言われています。その後、幕末の開港にともない来航する蒸気船の燃料として石炭の需要が高まったため、1868(慶応4・明治元)年、佐賀藩とイギリス人貿易商トーマス・ブレーク・グラバーのグラバー商会との共同出資のもと、高島での海底炭鉱開発が本格的に始まりました。イギリス人技師モーリスを招き、1869(明治2)年、海岸に近い低地に、日本で初めて蒸気機関による巻揚機やポンプを導入した洋式竪坑「北渓井坑」を建設しました。竪坑の深さは43m、1日300トンの石炭を産出したとされています。北渓井坑は海水の流入により1876(明治9)年に廃坑となりましたが、現在も当時の竪坑跡や蒸気機関に関連する貴重な遺構が残されており、明治初期の石炭採掘技術を知ることができます。
Hashima Coal Mine
端島炭坑は、長崎港の沖合18.5kmに位置する端島にある西彼杵海底炭田の一部です。高い護岸に囲まれ、煙突から煙を吐くその外観が、海に浮かぶ軍艦「土佐」に似ていたことから、「軍艦島」と呼ばれるようになりました。南北に約480m、東西に約160mの小さな端島では江戸時代に良質な石炭が発見されていましたが、当時は漁民が露出している石炭を採掘する程度でした。明治に入り、端島から約3㎞離れた高島炭鉱の経営を成功させた三菱社は、1890(明治23)年に同じ鉱床を持つ端島を買収し、海底炭鉱開発を本格化させました。翌年から出炭が始まり、1897(明治30)年には高島炭鉱を超える出炭量となりました。端島炭鉱の石炭は非常に良質であったため、その多くが官営八幡製鉄所へ製鉄用原料炭として供給されました。
Glover House and Office
「旧グラバー住宅」は、南山手と呼ばれる居留地に位置する、現存する日本最古の木造洋風建築です。1858(安政5)年、日米修好通商条約の締結によって開港した長崎では、港を望む丘陵地に外国人居留地が定められました。1859(安政6)年、スコットランド出身のイギリス人貿易商トーマス・ブレーク・グラバーは21歳で来日します。南山手3番地の大きな松の木のすぐ横に邸宅を建てたグラバーは、この邸宅に「IPPONMATSU」という愛称を付けました。このことから、邸宅は「一本松邸」とも呼ばれました。
Miike Coal Mine and Miike Port
福岡県大牟田市と熊本県荒尾市にまたがる「三池炭鉱」は、かつて日本最大級の出炭量を誇った石炭鉱山です。主な遺構は、「宮原坑」「万田坑」「専用鉄道敷跡」「三池港」で構成されています。盆踊りの『炭坑節』でも知られる三池炭鉱は、江戸時代から採掘が始まり、1997(平成9)年に閉山されるまで、日本の近代工業化を支えました。1889(明治22)年に明治政府の官営事業から三井組へと払い下げられた際、炭鉱とともに三井組に招聘されたのが鉱山技師の團琢磨です。1893(明治26)年に三井鉱山合名会社が設立されると、團は専務理事に就任し、最新設備の導入や三池港の整備などでその手腕を発揮しました。有明海に近い三池炭鉱は出水が多いことで知られ、採炭にあたっては排水が最大の課題でした。そのため、良質な石炭の大量生産に向け機械化が進められ、当時最新の排水用大型ポンプであったイギリス製デービーポンプが導入されました。
Misumi West Port
熊本県宇城市に位置する「三角西港」は、明治政府の殖産興業政策のもとで整備された明治三大築港の1つです。お雇い外国人であるオランダ人水理工師ローウェンホルスト・ムルドルによって設計されました。当時、良港に恵まれなかった熊本県では、1880(明治13)年に県議会議員の白木為直が貿易港築港の必要性を建議します。これを受けた県令(当時の県知事)の富岡敬明は、政府から派遣されたムルドルに調査を命じました。調査の結果、宇土半島の先端に位置する三角は水深が深く、潮流も穏やかな天然の良港で、大型船舶も入港できる貿易港として最適であると報告されたのです。
The Imperial Steel Works, Japan
欧米を手本に殖産興業政策を進めていた明治政府は、鉄鋼の国産化をめざし、福岡県北部にある筑豊炭田に隣接した八幡村(現在の北九州市)に、「官営八幡製鐵所」を設立しました。日清戦争(1894~1895年)後の軍備拡張に伴う製鋼業振興政策として、1895(明治28)年、政府は鉄鉱石からの製せい銑せんから鋼材の生産までを一貫して行う「銑せん鋼こう一貫製鉄所」の建設を決定し、1897(明治30)年にその建設に着工します。日清戦争で獲得した多額の賠償金などをもとに、ドイツのグーテホフヌンクスヒュッテ社の技術協力を得て、1901(明治34)年2月5日、八幡製鐵所東田第一高炉への火入れが行われました。こうして当時の最新技術を導入した、アジア初の銑鋼一貫製鉄所として操業を開始しました。
Onga river Pumping Station
福岡県中間市に位置し、1910(明治43)年に操業を開始した「遠賀川水源地ポンプ室」は、1901(明治34)年の操業を開始した官営八幡製鉄所の鋼材生産量の倍増を目指すため、11.4㎞離れた遠賀川から製鉄所へ大量の工業用水を供給するための施設として建設されました。遠賀川の東岸に建つポンプ室は、2階建てのイギリス式レンガ積みの建物で、丸窓や半円アーチ窓の一部には灰白色の鉱こう滓さい煉瓦が使用されています。建物は2棟が並ぶ大きな建屋で構成されており、かつて北側の棟には送水用の蒸気ポンプが、南側の棟には動力源となるボイラーが設置されていました。1950年代にポンプの動力源が蒸気から電気へ移り変わりましたが、100年以上が経過した現在もその役割は変わることなく、製鉄のための送水を続けています。

遺産DATA

保有国 : 日本国
所在地 : 【福岡県】北九州市、大牟田市、中間市【佐賀県】佐賀市【長崎県】長崎市【熊本県】荒尾市、宇城市【鹿児島県】鹿児島市【山口県】萩市【岩手県】釜石市【静岡県】伊豆の国市
分類 : 文化遺産
登録年 : 2015年
登録基準 : (ii) (iv)
遺産の面積 : 3.0666㎢
バッファ・ゾーン : 24.0833㎢
座標 :N33 52 25 E130 48 21(官営八幡製鐵所)

アクセス

執筆協力者PROFILE

アレセイア湘南高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師

國學院大学文学部史学科卒。東海大学大学院文学研究科史学専攻修士課程修了。文学修士。NPO法人世界遺産アカデミー認定講師。世界遺産検定マイスター。歴史能力検定1級。世界史、世界遺産、ビッグヒストリーに関するさまざまな書籍の執筆・翻訳・監修を手掛けてきた。