三菱長崎造船所 占勝閣
第三船渠を見下ろす丘の上に建つ、木造2階建ての洋館。三菱重工業長崎造船所の敷地内にあり、現在は一般非公開(©Indiana jo/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0)

迎賓館として使用される丘の上の木造洋館

「占勝閣」は、長崎造船所第三船渠を見下ろす丘の上に位置する、ベランダや尖塔が特徴的な木造2階建ての洋館です。三菱合資会社時代の1903(明治36)年、長崎造船所長の荘田平五郎の邸宅として着工され、翌年完成しました。占勝閣を設計した建築家の曾そ禰ね達たつ蔵ぞうは、工部大学校で鹿鳴館の設計者として知られるイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事した人物です。1905(明治38)年、ここに宿泊した軍艦千代田艦長の東伏見宮依仁親王が、この洋館を「風光景勝を占める」という意味を持つ「占勝閣」と命名しました。以後、占勝閣は長崎造船所の迎賓館として使用されるようになりました。現在も建てられた当時の姿をそのまま留め、迎賓館として船舶の命名式などの祝賀会や貴賓の接待に使用されています。一般には非公開の施設です。

建築家・曾禰達蔵と三菱合資会社

曾禰達蔵は日本初の建築家の一人です。1852(嘉永5)年、唐津藩江戸藩邸に生まれた曾禰は、幕末から明治維新への激動の中で青春時代を過ごします。1873(明治6)年、工学寮(後の工部大学校造家学科、現在の東京大学工学部建築学科)の第1回入学試験に合格し官費生として入寮した曾禰は、明治政府の招きで来日した「お雇い外国人」のイギリス人建築家ジョサイア・コンドルに師事しました。同期生には、東京駅や日本銀行本店本館を設計した辰野金吾がいます。1890(明治23)年、曾禰は三菱合資会社に入社し、初代技術師長に就任します。コンドルとともに、大名屋敷や陸軍の施設が放置された状態にあった東京丸の内のオフィス開発を手掛けました。なかでも、1904(明治37)年から翌年にかけて完成した丸の内4号館から7号館は、曾禰の設計によるものです。曾禰は丸の内以外にも多くの三菱関係の建物を設計しており、代表的な作品に1897(明治30)年の三菱銀行神戸支店、1904(明治37)年の占勝閣などがあります。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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