プラハの歴史地区
宗教・芸術・学問の中心となったプラハの美しい街並み

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : チェコ共和国 所在地 : Prague 分類 : 文化遺産 登録年 : 1992年 範囲変更年 : 2012年 登録基準 : (ii) (iv) (vi) 遺産の面積 : 11.0636㎢ バッファ・ゾーン : 98.8709㎢ 座標 : N50 5 22.992 E14 25 10

about

プラハの街のはじまり

チェコ中西部に位置する首都プラハは、人口約130万人を擁するヨーロッパでも有数の大都市です。街のほぼ中央、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の両岸に、ヨーロッパ屈指の美しさを誇る歴史地区があります。プラハの起源は、6世紀後半にスラヴ民族がヴルタヴァ川沿いに集落を築いたことにさかのぼります。7世紀には丘の上に砦が建てられ、都市としての形成が始まりました。9世紀後半頃、ヴルタヴァ川左岸にプラハ城の前身の城塞が、10世紀には右岸にヴィシェフラト城が建造され、2つの建造物に挟まれた区域が発展していきました。

長い歴史が息づく建築都市

11世紀から18世紀にかけて築かれた旧市街、小地区、新市街には、王宮や大聖堂、カレル橋をはじめとする数多くの歴史的建築物が残されています。ヴルタヴァ川の両岸に広がるこれらの地区には、塔が点在する風景の中に邸宅や宮殿なども見られ、美しい街並みを形づくっています。特に14世紀、神聖ローマ皇帝カール4世のもとで整備された新市街は、「新しいエルサレム」を目指した壮大な都市計画の成果でもあります。都市の再開発や戦火をまぬがれたことで、当時の街並みが良好な状態で保存されており、ゴシック、バロック、モダニズムといった多様な建築様式が一つの都市の中に共存しています。

波乱の時代から、知と文化の都へ

プラハは、古くから学術と芸術の中心として発展してきました。1348年に創設されたカレル大学は、ヨーロッパで最も古い大学のひとつであり、学問と思想の中心として発展しました。15世紀には大学教授ヤン・フスがカトリック教会の権威を問い直す思想を発信し、やがてプラハは宗教争いの舞台となっていきます。そのような激動の歴史を経て、プラハは多くの文化人や科学者を魅了する都市へと移り変わっていきます。モーツァルト、カフカ、アインシュタインなど、多くの文化人や科学者ともゆかりがあり、知のネットワークが育まれてきた街でもあります。さまざまな時代の歴史を伝えるプラハは、文化的多様性を象徴する空間として、訪れる人に深い感動を与え続けています。

アクセス

プラハ空港からプラハの歴史地区まで車やバスで約45分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

世界遺産をテーマに、文化・歴史・自然の魅力を多角的に伝えるPodcast番組を展開。遺産の価値に加え、現代に通じる暮らしの哲学や自然共生の視点を取り入れた発信を行う。大学や世界遺産関連施設での講演・イベント出演のほか、2025年大阪・関西万博での登壇も経験。

Details

Old Town Hall / Staroměstská radnice
旧市庁舎は、1338年に旧市街の自治の中心として設けられた、プラハを代表する歴史的建造物です。建物は一度に造られたものではなく、複数の中世の家屋を増築しながら形成されました。高さ約70mの塔を備え、長い歴史の中でプラハの政治や市民生活の中心的な役割を果たしてきました。特に有名なのが、1410年に設置された天文時計「プラハのオルロイ」です。現在も稼働する世界最古級の天文時計として知られ、太陽や月の動き、時間、暦などを表示する精巧な仕組みを備えています。また、毎正時には使徒たちが現れるからくり時計の演出が行われます。1945年のプラハ蜂起では戦闘による火災で大きな被害を受けましたが、その後修復されました。現在も旧市街広場を象徴する存在として親しまれており、塔の展望台からはプラハ歴史地区の美しい街並みを一望することができます。
Charles Bridge / Karlův most
カレル橋は、チェコの首都プラハを流れるヴルタヴァ川に架かる、中世ヨーロッパを代表する石橋のひとつです。もともとこの場所には12世紀に建設された別の橋が架かっていましたが、1342年の洪水で被害を受けてしまいます。1357年、神聖ローマ皇帝カレル4世の命により新たな橋としてカレル橋の建設が始まり、15世紀初頭に完成しました。その後、橋は旧市街とプラハ城を結ぶ重要な役割を担い、商人や王族、巡礼者など多くの人々が行き交いました。全長およそ516mの橋には、17~18世紀を中心に設置された30体の聖人像が並んでいます。特に、14世紀のボヘミア司祭の聖ヤン・ネポムツキー像は有名で、像の台座に触れると幸運が訪れると言われていることから、観光客が多く訪れています。また、アジアで宣教を行ったフランシスコ・ザビエルの像があり、ザビエルを支える東洋人と思われる人物の姿も彫られています。カレル橋は中世に築かれた歴史的景観を今に伝える存在として、現在も多くの人々に親しまれています。
Charles University / Univerzita Karlova
カレル大学は、1348年にボヘミア王であり神聖ローマ皇帝でもあったカレル4世によって創設された大学です。ボローニャ大学やパリ大学を手本として設立され、アルプス以北・パリ以東で最初の「ストゥディウム・ゲネラーレ(国際的な大学)」となりました。創設当初は神学・法学・医学・教養学の4学部で構成され、ヨーロッパ各地から学生や学者が集まる学術拠点となりました。カレル大学は、黄金時代を築いたカレル4世の時代を象徴する存在のひとつとして知られています。
St. Vitus Cathedral / Katedrála svatého Víta
「聖ヴィート大聖堂」は、プラハで最も大きく重要な教会です。ここでは礼拝のほか、多くのボヘミア王や女王の戴冠式、そして葬儀が執り行われてきました。現在の聖堂は3代目の建物で、最初のものは、929年にヴァーツラフ公によりプラハ丘陵の要塞に創設されたロマネスク様式の円形教会堂でした。その後、971年に聖ヴィート大聖堂参事会が、さらにその2年後にはプラハ司教区が設立されたことで、プラハ城と首都中心部にあるこの教会堂の重要性が高まっていきました。1060年には三廊式バシリカ(内部が3つの空間に区切られた建築)に建て替えられ、最初の円形教会堂の5倍もの規模を誇るようになったのです。
National Theatre / Národní Divadlo
「国民劇場」は、チェコ国民によって建設資金が集められた、民族のアイデンティティと独立の意志を象徴する建物です。1844年、国民の手によってプラハに壮麗な劇場を建設するという構想が提起されました。実際に募金活動が開始されたのは1851年のことです。その1年後、最初の募金により小さな製塩所跡地を購入します。これにより、プラハ城を望むヴルタヴァ川のほとりで劇場建設が始まったのです。しかし、その狭い敷地と台形の形状は、建築家たちにとって大きな課題となりました。その後、ボヘミアがオーストリアの専制支配を受けた時代には、国民劇場建設が中断され、当初の構想からより簡素な建物への設計変更が行われました。1862年、建築家イグナーツ・ウルマンの設計によって、敷地の南側に建てられた「仮劇場」が開場します。この仮劇場の建物は、後に現在の国民劇場の一部となり、その外壁は劇場の後方に今も見ることができます。
Church of the Mother of God before Týn / Kostel Matky Boží před Týnem
高さ約80mの2本の尖塔を持つ「ティーンの聖母聖堂」は、ヴルタヴァ川(モルダウ川)の右岸、チェコのプラハ旧市街の東側に位置するゴシック様式の教会です。ティーンとは、かつて周囲を柵で囲んでいた敷地「ティンスキー・ドヴール」に由来します。13世紀半ば、ここは外国人商人たちが宿泊し、関税を支払うための場所として使われていたことから、この呼び名が定着しました。この場所の最も古い記録は、1135年の文献で、「聖母マリア教会」と「病院」があったことが記録されています。13世紀半ばになると、名前の由来にもなった教会の隣にある敷地が、外国人商人のための施設として使われ始めました。13世紀末から14世紀初頭にかけて、教会は地域の中心である教区教会となり、信者の増加に対応するため大規模な改築と拡張工事が行われました。これにより、3つの通路(身廊)や地下室、西側の塔を持つ新しい建物となり、1310年には塔に鐘が吊るされました。この時代の建物で現存しているのは「聖ニコラス礼拝堂」のみです。
Strahov Monastery / Strahovský klášter
1143年、ボヘミア公ウラディスラフ2世とオロモウツのジンドリフ・ズディーク司教によって、プレモントレ会の男性修道院が設立されました。これが「ストラホフ修道院」で、ここで生活する修道士たちは、その衣服から「白き修道士」と呼ばれ、チェコの精神的・文化的発展に不可欠な存在となりました。ストラホフ修道院は、創設当時「シオン」と呼ばれていましたが、後に現在の地名であるストラホフとして知られるようになります。また、1627年には、修道院の大聖堂にプレモントレ会の創始者である聖ノルベルトの遺骨が移されています。このように長い歴史を持つストラホフ修道院ですが、近現代には大きな試練を迎えます。1948年から1989年までの約41年間、チェコは共産党政権の時代に入ると、宗教への弾圧が強まります。1950年、修道院は閉鎖され、多くの修道士たちは投獄されました。共産党政権崩壊後の1990年、修道院は再びプレモントレ会に返還され現在に至っています。
Průhonice Park / Průhonický park
プルーホニツェの領地は、1800年にノスティッツ=リーネック伯ヨハン・ネポムクによって購入されました。彼は当時ここにあった城の改修工事に着手しました。1840年にヨハン・ネポムクが亡くなると、この領地は息子のアルベルトへと相続され、その後、アルベルトの娘であるマリア・アントニア・ガブリエラへと引き継がれました。そして1885年、マリアがエルンスト・エマヌエル・シルバ=タロウカ伯爵と結婚したことで、プルーホニツェに新たな時代が幕を開けることになります。

遺産DATA

保有国 : チェコ共和国
所在地 : Prague
分類 : 文化遺産
登録年 : 1992年
範囲変更年 : 2012年
登録基準 : (ii) (iv) (vi)
遺産の面積 : 11.0636㎢
バッファ・ゾーン : 98.8709㎢
座標 :N50 5 22.992 E14 25 10

アクセス

プラハ空港からプラハの歴史地区まで車やバスで約45分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

世界遺産をテーマに、文化・歴史・自然の魅力を多角的に伝えるPodcast番組を展開。遺産の価値に加え、現代に通じる暮らしの哲学や自然共生の視点を取り入れた発信を行う。大学や世界遺産関連施設での講演・イベント出演のほか、2025年大阪・関西万博での登壇も経験。