1885年以前のプルーホニツェの歴史
プルーホニツェの領地は、1800年にノスティッツ=リーネック伯ヨハン・ネポムクによって購入されました。彼は当時ここにあった城の改修工事に着手しました。1840年にヨハン・ネポムクが亡くなると、この領地は息子のアルベルトへと相続され、その後、アルベルトの娘であるマリア・アントニア・ガブリエラへと引き継がれました。そして1885年、マリアがエルンスト・エマヌエル・シルバ=タロウカ伯爵と結婚したことで、プルーホニツェに新たな時代が幕を開けることになります。
中央ボヘミアの景観に調和する理想の公園
結婚によってプルーホニツェの領地を手に入れたルノシュト・エマヌエル・スィルヴァ=タロウカ伯爵は、すぐに理想の公園の設計に取りかかりました。彼はチェヒ・ポド・コシーレムの公園や、ニサ川流域の上サルティア地方にあるムスカウ公園から着想を得て、面積2.4㎢におよぶヨーロッパ最大規模の自然公園「プルーホニツキー公園」を創設しました。地形の自然な曲線に沿って散策路が整備された園内には、外来種の樹木が植えられた林や牧草地、さらに広大な植物園が見られ、動植物の保護区としての役割も果たしています。現在、公園内には1,600種以上の樹木が見られ、特にシャクナゲの数は257種、約8,000株にのぼります。

ネオ・ルネサンス様式の城とロマネスク様式の教会
プルーホニツキー公園には、現在その一部が一般公開されている、ネオ・ルネサンス様式の城があります。アルノシュト・エマヌエル・スィルヴァ=タロウカ伯爵は、それまでの質素な城を、当時流行していたネオ・ルネサンス様式の邸宅への改築を計画し、その設計や装飾を建築家イルジー・スティブラル、彫刻家であり装飾家のツェルダ・クロウチェク、画家のハヌシュ・シュヴァイガー、そして庭園設計家のフランティシェク・トマイヤーに依頼しました。また、同じく敷地内にあるロマネスク様式の聖母マリア生誕教会は、プルーホニツェの領地内で最も古い建物です。この教会は、1187年にプラハ司教ヘンリー・ブレティスラウスによって聖別されました。その後に行われた改築の際、ロマネスク様式の後陣は取り壊され、礼拝堂にはゴシック様式の増築部分が加えられました。1890年の修復時には、壁面から14世紀前半のものとされる線描フレスコ画が発見されています。
城や木々が自然に調和するように計算された公園
プルーホニツキー公園の大きな特徴は、そののびのびとした自由な配置にあります。木々や低木の茂みは、開けた草原や池、そして川へと違和感なくつながっています。公園内は計算し尽くされた美しい景観で構成されており、視線の先には必ず目を引く主役が配置されています。公園の入口付近では「城」が、奥に進むと「美しい木々の群生」が、その役割を担っています。また、公園内を流れるボティチ川とその支流には、堰や水路、入り江などが設けられ、ポドザーメツキー池やラベシュカ池、ボジーン池といった水辺が巧みに配置されています。もともと樹木の茂っていた部分は、新しく植えられた植物が日陰に入るように、自然な調和が図られています。公園の外縁部は、トウヒや米松といった新しい樹木によって密度を増した植生で構成されており、景観の背景を作り出すだけでなく、防風林としての役割も果たしています。一方、林の内側に植えられた若木には、一本立ちの孤立木として成長できるように、広いスペースが与えられています。
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧