見どころDATA
重要な戦略的拠点とその支配の歴史
大西洋から平野部までを一望できるシントラ山脈に位置する「ムーア城」は、10世紀にこの地を支配したイスラム教徒が、周辺地域の防衛とリスボンへの海上交通路を確保するために築いた、とても重要な戦略的拠点でした。その城壁は、花崗岩の岩山を縫うように連なっています。城壁の内側やその周辺には古くからイスラム教徒の集落が存在し、岩山をくり抜いてつくられた貯蔵庫は、穀物などの食料を保存するために使われていました。1147年、ポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスによってリスボンが奪還されると、シントラとその周辺地域もポルトガル領となりました。そして1154年、領土防衛の戦略的観点から、シントラとその周辺地域の管理はテンプル騎士団の総長グアルディム・パイスに委ねられ、勅許状が与えられました。

イスラム教とキリスト教の結びつき
シントラでのキリスト教徒の定住が進むにつれて、イスラム教徒地区は徐々に姿を消していきました。15世紀には、ムーア人とキリスト教徒の間の紛争が収束したこともあり、住民たちがムーア城に避難する必要がなくなります。そのため、人々の生活はこの城塞から離れていき、二重の城壁の間に建てられたサン・ペドロ・デ・カナフェリン教会を含む中世の集落も次第に放棄されていきました。19世紀に入ると、国王フェルディナンド2世は当時のロマン主義精神に基づき、ムーア城の修復工事を行って中世の景観を蘇らせたのです。この工事の際に、教会にあった墓地の一部が損傷したため、回収された遺骨が改葬されました。この遺骨がキリスト教徒のものかイスラム教徒のものなのか判別できなかったので、その墓石には三日月と十字架、そして「人が結びつけたものを、神だけが引き離すことができる」という碑文が刻まれています。

執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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