シントラの文化的景観
さまざまな建築様式が混在するペナ宮殿。ロマン主義を代表する建築で、自然との調和もポイント

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : ポルトガル共和国 分類 : 文化遺産 登録年 : 1995年 登録基準 : (ii) (iv) (v) 遺産の面積 : 9.46㎢ バッファ・ゾーン : 36.41㎢ 座標 : N38 46 59.988 W9 25 0

about

イスラム教徒の街からキリスト教徒の街へ

リスボンの北西約20kmに位置するシントラは、夏は涼しく冬も温暖な気候に恵まれ、紀元前5000年頃には人々が住み始めました。12世紀半ば、初代ポルトガル国王アフォンソ1世がリスボンをイスラム教徒から奪回したことにより、シントラもキリスト教徒の街へと変化していきます。以来、代々のポルトガル王族がこの地に離宮を置き、18〜19世紀にかけては、イギリスの富豪たちも次々と別荘を建設しました。

ロマン主義を代表する建築「ペナ宮殿」

1840年頃、ポルトガル王フェルディナンド2世は、1755年の地震で廃墟となっていた修道院を、ゴシック様式やルネサンス様式、イスラム様式などの建築要素を含んだペナ宮殿へと改築しました。さまざまな建築様式が混在するペナ宮殿は、19世紀のロマン主義を代表する建築とされています。宮殿は広大な公園で囲まれており、丘陵地帯の田園風景の上にそびえ立つ森林は、何千本もの木が植えられたことによって存在しています。一部の植物は北米やアジア、ニュージーランドから集められました。

アクセス

リスボン・ロッシオ駅からシントラ駅まで列車で約40分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。

Details

Sintra Palace / Palácio Nacional de Sintra
ポルトガル最古の歴史を持つ「シントラ宮殿」は、街の中心に位置し、厨房の上にそびえる2本の巨大な円錐形煙突が特徴的です。現在の宮殿は、何世紀にもわたって建設や増築、改築が繰り返され、複数の王宮が融合してできたものです。最古の宮殿の正確な創建年は分かっていませんが、おそらく最初の建物は、この地が北アフリカからやってきたイスラム教徒ムーア人の支配下にあった、10世紀から11世紀頃に建てられたと考えられています。1147年、アフォンソ・エンリケスによってリスボンが征服されると、シントラを支配していたムーア人勢力であるムラービト朝は降伏し、3世紀以上に及んだその支配に終止符が打たれました。現在の宮殿がある場所は、当時「オリーブの平地」と呼ばれており、ムーア人総督の邸宅が建っていたと考えられていますが、その遺構はいまだ発見されていません。
Pena Palace / Palácio Nacional de Pena
大西洋を望むロカ岬から続くシントラ山脈の山の頂、「ペナ宮殿」が建つ場所の歴史は、12世紀にこの地で聖母マリアが現れたという伝説に基づき、小さな礼拝堂が建てられたことから始まります。その後、1503年にマヌエル1世がここに「サンタ・マリア修道院」の建設を命じました。当時、修道士たちの会議室や食堂として使われていた部屋は、現在もその一部を見ることができます。1755年にリスボンを襲った大地震によって、修道院は大きな被害を受けました。その後、1834年に修道会解散にともない、修道院が放棄されたことで、この場所は次第に忘れられていきました。
Monserrate Palace / Palácio de Monserrate
「モンセラーテ宮殿」の歴史は、1540年の礼拝堂建設から始まりました。ポルトガル人修道士ガスパル・プレトは、バルセロナ郊外にあるモンセラート礼拝堂に感銘を受け、シントラの地に同じような礼拝堂の建設を命じました。当時、この土地はリスボンのトドス・オス・サントス病院の所有地であり、同病院の院長を務めていた彼は、この場所を礼拝の場としてだけでなく、病院で消費する農産物栽培の場としても活用しようと計画したのです。1718年にはポルトガル領インドの最高責任者だったカエタノ・デ・メロ・エ・カストロがこの土地を取得しました。その後、1755年のリスボン大地震で建物は大きな被害を受けますが、1789年にイギリス商人のジェラード・デ・ヴィスメが土地を借り受け、ネオ・ゴシック様式の城を建てました。1794年には、同じくイギリス人作家ウィリアム・ベックフォードが新たな借り受け人となったものの、彼が去った後は再び荒廃の一途をたどることになります。1863年になると、イギリス人商人であり美術収集家でもあったフランシス・クックがモンセラーテの所有者となり、初代モンセラーテ子爵に叙せられました。
Quinta da Regaleira
「レガレイラ宮殿」は、1840年にこの土地を購入したポルトガルの富豪の娘であり、後にレガレイラ男爵夫人として知られるアレン・フェレイラにちなんで、「キンタ・ダ・レガレイラ(レガレイラ邸宅)」と呼ばれるようになりました。19世紀末から20世紀初頭にかけて、大富豪アントニオ・アウグスト・カルヴァーリョ・モンテイロがこの邸宅を購入し、建築家で舞台美術家でもあるルイージ・マニーニの協力を得て大改修を行いました。その結果、ゴシック様式やルネサンス様式、マヌエル様式など、さまざまな建築様式が融合した、ロマン主義的で神秘的な建物となったのです。特に注目すべきなのは、「聖三位一体の礼拝堂」や井戸の内部に作られたような螺旋階段を下りていく「イニシエーションの井戸」です。この井戸の底の部分には地下洞窟が広がっていて、庭園の池へとつながっています。
Seteais Palace / Palácio de Seteais
「セテアイス宮殿」の歴史は、1787年に始まります。シントラの美しさに魅了された、ポルトガルの富裕な実業家でありオランダ領事でもあったダニエル・ギルデメーステルが、この地に「キンタ・ダ・アレグリア」と呼ばれる別邸を建設しました。1790年に新たな所有者となった第5代マリアルヴァ侯爵ドム・ディオゴ・ヴィトは、建物を2倍の大きさに広げ、2つの棟を結ぶ凱旋門を増築しました。ヨーロッパ各地から貴族が集まり、華やかな宴が開催されるセテアイス宮殿の黄金期を築きました。その後しばらくの間は人々から忘れ去られた場所となっていましたが、1946年にポルトガル政府によって買収され、現在は重要文化財に指定されています。同じ頃、建築家ラウル・リノの手によってホテルへと改築され、1955年9月、「ホテル・パラシオ・デ・セテアイス」として新たに開業しました。
Moorish Castle / Castelo dos Mouros
大西洋から平野部までを一望できるシントラ山脈に位置する「ムーア城」は、10世紀にこの地を支配したイスラム教徒が、周辺地域の防衛とリスボンへの海上交通路を確保するために築いた、とても重要な戦略的拠点でした。その城壁は、花崗岩の岩山を縫うように連なっています。城壁の内側やその周辺には古くからイスラム教徒の集落が存在し、岩山をくり抜いてつくられた貯蔵庫は、穀物などの食料を保存するために使われていました。1147年、ポルトガル初代国王アフォンソ・エンリケスによってリスボンが奪還されると、シントラとその周辺地域もポルトガル領となりました。そして1154年、領土防衛の戦略的観点から、シントラとその周辺地域の管理はテンプル騎士団の総長グアルディム・パイスに委ねられ、勅許状が与えられました。

遺産DATA

分類 : 文化遺産
登録年 : 1995年
登録基準 : (ii) (iv) (v)
遺産の面積 : 9.46㎢
バッファ・ゾーン : 36.41㎢
座標 :N38 46 59.988 W9 25 0

アクセス

リスボン・ロッシオ駅からシントラ駅まで列車で約40分。

執筆協力者PROFILE

NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター/Podcast「行きたくなる世界遺産!」パーソナリティ

広島県出身。平和継承の入口として世界遺産検定を受験。現在は認定講師として大学、専門学校等で講座実施。2021年にポッドキャスト「行きたくなる世界遺産!」(地域情報/トラベル部門最高2位獲得)を開設しパーソナリティを務めつつ世界遺産関連施設で番組イベントを開催。