シントラ宮殿
2本の巨大な円錐形煙突が特徴のシントラ宮殿

見どころDATA

ムーア人の支配から始まる宮殿の歴史

ポルトガル最古の歴史を持つ「シントラ宮殿」は、街の中心に位置し、厨房の上にそびえる2本の巨大な円錐形煙突が特徴的です。現在の宮殿は、何世紀にもわたって建設や増築、改築が繰り返され、複数の王宮が融合してできたものです。最古の宮殿の正確な創建年は分かっていませんが、おそらく最初の建物は、この地が北アフリカからやってきたイスラム教徒ムーア人の支配下にあった、10世紀から11世紀頃に建てられたと考えられています。1147年、アフォンソ・エンリケスによってリスボンが征服されると、シントラを支配していたムーア人勢力であるムラービト朝は降伏し、3世紀以上に及んだその支配に終止符が打たれました。現在の宮殿がある場所は、当時「オリーブの平地」と呼ばれており、ムーア人総督の邸宅が建っていたと考えられていますが、その遺構はいまだ発見されていません。

「風呂の洞窟」
「風呂の洞窟」のアズレージョ。壁の小さな穴から水が噴き出し、涼むことができた(©Lia Aramburu/Adobe Stock)

天正遣欧使節も訪れた多様な建築様式の宮殿

1287年、ディニス1世によってシントラ宮殿とその周辺の土地が王妃イザベルに授けられ、それ以降シントラは歴代王妃の領地となりました。その後、宮殿はポルトガル国王たちが狩りを楽しみ、夏の避暑に訪れる場所の一つとなります。各時代の芸術的流行を取り入れながら、宮殿は多様な建築様式が融合した独特な姿になっていきました。高さがあり明るい「ゴシック様式」、大航海時代の影響を受けた「マヌエル様式」、そしてキリスト教芸術とイスラム芸術が融合した「ムデハル様式」を随所に見ることができます。現在の建物の多くは、ディニス1世をはじめ、「白鳥の間」や巨大な煙突を設けたジョアン1世、「紋章の間」を増築したマヌエル1世、そしてジョアン3世ら歴代の国王たちが手掛けた建設事業によるものです。1582年に長崎を出発してローマを目指した伊東マンショら天正遣欧使節は、1584年8月にシントラ宮殿を訪れ、大歓迎を受けたと記録されています。

礼拝堂
礼拝堂の天井はムデハル様式。保存状態が非常に良い(©YH/Adobe Stock)

ポルトガル王国終焉の舞台でもある宮殿

1822年、ポルトガルに立憲君主制が成立すると、シントラ宮殿は政治的中心としての役割を終え、より私的な王族の住まいとして使われるようになりました。しかし、1910年10月5日に勃発した革命により、ポルトガルは立憲君主制から共和制へと移行します。それは、1139年から約800年にもわたって続いた、ポルトガル王国の終焉を意味しました。首都リスボンでの政変を受けて脱出した国王マヌエル2世は、シントラ宮殿にいた祖母であり先代ルイス1世の未亡人マリア・ピア王妃らと合流して、亡命先のイギリスへと旅立っていったのです。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧

見どころDATA

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
≫世界遺産の執筆記事一覧
≫構成資産・みどころの執筆記事一覧