見どころDATA
聖母マリアが出現したとされる場所
大西洋を望むロカ岬から続くシントラ山脈の山の頂、「ペナ宮殿」が建つ場所の歴史は、12世紀にこの地で聖母マリアが現れたという伝説に基づき、小さな礼拝堂が建てられたことから始まります。その後、1503年にマヌエル1世がここに「サンタ・マリア修道院」の建設を命じました。当時、修道士たちの会議室や食堂として使われていた部屋は、現在もその一部を見ることができます。1755年にリスボンを襲った大地震によって、修道院は大きな被害を受けました。その後、1834年に修道会解散にともない、修道院が放棄されたことで、この場所は次第に忘れられていきました。

芸術王によって廃墟の修道院から宮殿へ
1838年、この廃墟となった修道院を買い取ったのが、芸術王と呼ばれたポルトガル国王(当時は女王マリア2世の王配で、共同国王)のフェルナンド2世です。彼はシントラを大変気に入り、廃墟と化していたペナの修道院とその周辺の土地を買い取りました。当初この建物は夏の離宮として修復される予定でしたが、国王の希望によってゴシック様式やマヌエル様式、ムーア様式などを取り入れた赤や黄色の壁のカラフルな宮殿へと改築されました。かつての修道院の部分は王子や王女たちの寝室となり、新しく建てられた宮殿は公式の謁見の間や国王夫妻の居住空間が配置され、2つの異なる建物は19世紀のロマン主義によって融合されたのです。1853年、マリア2世が34歳で亡くなると、フェルナンド2世はかつての修道院部分に移り、自らの住まいとしました。


宮殿と調和した異国情緒あふれる自然
ペナ宮殿の周囲には、85万㎡に及ぶ広大な公園が広がり、散策路に沿って「十字架の頂」、「柱の神殿」、「修道士の洞窟」などの施設を巡ることができます。また、丘陵地帯の森には500種数千本もの樹木が植えられ、その一部は北米やアジア、ニュージーランドから集められたもので、異国情緒と自然の美しさを感じることができます。1851年にフェルナンド2世によって公園内に作られた「ツバキ園」には、19世紀に流行した日本産を含む海外品種に加え、多くのポルトガルの品種のツバキが植えられています。さらに、フェルナンド2世と彼の2番目の妻エリーゼ・ヘンスラーは、公園の西側に「エドラ伯爵夫人のシャレー」を建てました。シャレーとはアルプス風の山小屋のことで、この2階建ての建物は公園の豊かな自然に調和しています。


執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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