セテアイス宮殿
元々はオランダ領事の別邸だった

見どころDATA

オランダ領事の別邸から世界遺産ホテルへ

「セテアイス宮殿」の歴史は、1787年に始まります。シントラの美しさに魅了された、ポルトガルの富裕な実業家でありオランダ領事でもあったダニエル・ギルデメーステルが、この地に「キンタ・ダ・アレグリア」と呼ばれる別邸を建設しました。1790年に新たな所有者となった第5代マリアルヴァ侯爵ドム・ディオゴ・ヴィトは、建物を2倍の大きさに広げ、2つの棟を結ぶ凱旋門を増築しました。ヨーロッパ各地から貴族が集まり、華やかな宴が開催されるセテアイス宮殿の黄金期を築きました。その後しばらくの間は人々から忘れ去られた場所となっていましたが、1946年にポルトガル政府によって買収され、現在は重要文化財に指定されています。同じ頃、建築家ラウル・リノの手によってホテルへと改築され、1955年9月、「ホテル・パラシオ・デ・セテアイス」として新たに開業しました。

庭園
敷地内の庭園(©Juan Martin/Adobe Stock)

「セテアイス」の名前の由来は?

「セテアイス」の名前には、いくつかの由来が伝わっています。1つ目は、第5代マリアルヴァ侯爵ドム・ディオゴ・ヴィトの自慢話です。お祭り騒ぎが大好きだった侯爵は、宮殿に招いた客人にその豪華さを披露していました。彼らを展望台へと連れて行き、「アイ」と掛け声を叫ぶと、そのこだまが7回も響くのだと敷地の広さを自慢していたのです。実際は、庭園に7人の使用人を潜ませ、順番に「アイ」と言わせていただけでしたが、この話から宮殿は「セテアイス(7つのアイ)」という名前になったと言われています。2つ目は、ムーア人の王女にまつわる悲しくもロマンチックな伝説です。彼女は生まれたときに、「7回目の『アイ』を口にすると命を落とす」という呪いをかけられました。歳月が流れ、ポルトガルの初代国王がムーア人からシントラを奪還した際、城の占領を命じられた一人の騎士が、逃げる美しい王女に出会ったのです。騎士は恋に落ち、彼女を救い出しました。二人は乳母を伴って逃げ延び、騎士の家に身を寄せて暮らし始めます。しかし、騎士が任務で遠方へ派遣された留守中、王女を連れ去ろうとする元婚約者が襲ってきました。王女を守ろうとして乳母はその場で首をはねられ、それを見た王女が思わず叫んだ声が7回目の「アイ」となってしまいました。王女はその瞬間に亡くなってしまいます。任務から戻り、この悲しい知らせに打ちひしがれた騎士は復讐を誓い、かつて二人が幸せに暮らした場所に、王女への愛を込めて「セテアイス(7つのアイ)」という名前を付けたと伝わっています。3つ目は、この地域におけるライ麦栽培に関係する説です。ライ麦はポルトガル語で「センティオ」と言い、セテアイス宮殿の名前は、かつてそこにあったライ麦の種まき場である「センテアイス」に由来しているとも言われています。

執筆協力者PROFILE

高等学校教諭/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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