ウィーンの歴史地区
「美しい眺め」の宮殿という意味のヴェルべデーレ宮殿

遺産DATA

地域 : ヨーロッパ 保有国 : オーストリア共和国 所在地 : Vienna 分類 : 文化遺産 登録年 : 2001年 危機遺産 : 2017年~ 登録基準 : (ii) (iv) (vi) 遺産の面積 : 3.71㎢ バッファ・ゾーン : 4.62㎢ 座標 : N48 12 33.84 E16 22 11.6

about

ハプスブルク家の王都

「音楽の都」として名を馳せるウィーンは、世間では「ウィーン少年合唱団」などでも有名でしょう。ウィーンの起源は紀元前1世紀までに遡り、ローマ帝国においては「ウィンドボナ」と呼ばれていました。13世紀以降ハプスブルク王家から神聖ローマ皇帝が選出されるようになってから、ウィーンは王都となりました。ウィーンが劇的な変貌を遂げるのは17世紀後半なのですが、それまでの歴史を語る建造物も多く残されています。例えばオーストリア最古の修道院であるショッテン修道院や、14~15世紀に建造された聖シュテファン大聖堂などはその代表例と言えます。

劇的な変貌を遂げたウィーン

この都市が劇的な変貌を遂げるのは、17世紀後半頃のことです。オスマン帝国によるウィーン包囲の脅威にさらされましたが、オスマン軍を何とか追撃し、ハンガリーの奪還にも成功します。この時点でウィーンは平和と富を得ることになり、当時のオイゲン公は、ウィーンの城壁外にバロック様式の夏の離宮を建設することになります。これがベルヴェデーレ宮殿です。また、19世紀半ばにフランツ・ヨーゼフ1世が大規模な都市改造を計画し、リンクシュトラーセと呼ばれる環状道路が敷設され、現在でもここには博物館や劇場、市庁舎など、都市の中枢機能が集積しているため、重要な場所と言えます。現在は都市景観の問題から危機遺産に登録されるなど、世界遺産との共存が課題となっています。

 

アクセス

ウィーン国際空港からバスで約20分。

執筆協力者PROFILE

京都橘大学・大阪成蹊大学講師/NPO世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。

Details

St. Stephen's Cathedral / Domkirche St. Stephan
聖シュテファン大聖堂の歴史は、1137年に最初のロマネスク様式の教会建設が始まったことにさかのぼります。その後、火災や増改築を繰り返しながら、13〜15世紀にかけて現在の壮大なゴシック様式へ発展しました。特にハプスブルク家のルドルフ4世は大聖堂の拡張を進め、ウィーンを象徴する存在へと成長させました。高さ136mの南塔は中世ヨーロッパでも有数の高さを誇り、街のランドマークとして親しまれています。長い歴史の中ではオスマン帝国による侵攻や戦争も経験しましたが、それでも人々に守られ続けてきた、ウィーンの歴史そのものを映す建築です。
Schottenstift
ショッテン修道院は、1155年にオーストリア公ハインリヒ2世ヤゾミルゴットによって創建された、ウィーン最古級のベネディクト会修道院です。アイルランド系の修道士たちが招かれたことから、「ショッテン」の名で知られるようになりました。中世には祈りの場であるだけでなく、学問や教育の拠点としても重要な役割を果たしました。現在も修道院内には名門校ショッテンギムナジウムが置かれています。17〜18世紀には大規模な改築が行われ、現在見られるバロック様式の教会や建物群が整えられました。
Belvedere Palace / Schloss Belvedere
ベルヴェデーレ宮殿は、ウィーンを代表するバロック様式の宮殿です。ハプスブルク家の総司令官として、オスマン帝国軍との戦いで功績を残したオイゲン公(サヴォイア家出身)が、夏の離宮として建設しました。宮殿は「上宮」と「下宮」に分かれ、その間には左右対称の美しい庭園が広がっています。なかでも上宮は丘の上に建ち、庭園越しに望む景観が大きな魅力です。「ベルヴェデーレ」という名称にも、“美しい眺め”という意味があります。また、下宮はオイゲン公の居城となり、「大理石の間」「黄金の間」など贅沢な装飾が施された空間が存在します。
Wiener Staatsoper
ウィーン国立歌劇場は、1869年にハプスブルク帝国の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の時代に開場した、世界屈指のオペラハウスです。ネオ・ルネサンス様式で建設され、リング通りを代表する建築のひとつとして知られています。しかし、華やかな歴史だけではなく、第二次世界大戦中のナチス政権下では芸術活動への統制が強まり、多くの芸術家が厳しい状況に置かれました。1944年には戦争の影響で劇場も閉鎖され、1945年の空襲では舞台や客席を含む建物の大部分が焼失します。長年使用されてきた舞台装置や大量の衣装も失われました。その後、約10年に及ぶ修復を経て1955年に再開場します。戦争を乗り越え、“ウィーン文化復興の象徴”として再び人々を迎えています。
Ringstrasse
リンクシュトラーセは、ウィーン旧市街を囲む全長約5.3kmの大通りで、19世紀後半に整備されました。かつてこの場所には中世以来の城壁がありましたが、1857年に皇帝フランツ・ヨーゼフ1世が城壁撤去を命じ、その後19世紀後半にかけて整備されました。沿道には国立歌劇場、国会議事堂、市庁舎、美術史美術館、ブルク劇場など、歴史主義様式による壮麗な建築群が並びます。また、公園や広場も一体的に整備され、19世紀ヨーロッパ都市計画の象徴ともいえる景観を形成しています。リンクシュトラーセは、ハプスブルク帝国時代の繁栄や文化的成熟を今に伝える存在として、ウィーン歴史地区の重要な構成要素となっています。

遺産DATA

所在地 : Vienna
分類 : 文化遺産
登録年 : 2001年
危機遺産 : 2017年~
登録基準 : (ii) (iv) (vi)
遺産の面積 : 3.71㎢
バッファ・ゾーン : 4.62㎢
座標 :N48 12 33.84 E16 22 11.6

アクセス

ウィーン国際空港からバスで約20分。

執筆協力者PROFILE

京都橘大学・大阪成蹊大学講師/NPO世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター

世界遺産検定初代マイスターの一人。地歴公民科の教諭として7年間大阪の公立高校で勤務。現在、世界遺産アカデミー認定講師として大学や私立中学で講義、授業を展開。また、自身のYouTubeチャンネル「翼の世界史チャンネル」で受験世界史の動画を配信。