構成資産DATA
新石器時代から製塩が行われた場所
ポーランドの古都クラクフの南東15㎞に位置するヴィエリチカ岩塩坑は、13世紀頃から本格的な採掘が始まった岩塩採掘所です。2,000万年前は海だったこの場所は、地殻変動により長い年月をかけて広大な岩塩層へと変化しました。新石器時代は、ここから汲み上げられた塩水から塩が得られており、ヴィエリチカの近くにあるバリチ村から、中央ヨーロッパで最も古い製塩道具が発見されています。その後何世紀もの間、製塩技術は代々受け継がれ、製塩に携わる人々は専門的な職業集団を形成していきました。得られた塩は肉や魚の保存料として、さらに周辺地域に住む人々との交易の決済手段としても使われていました。11~12世紀頃、塩水の湧き出る量が減少したため、井戸を掘って塩水の捜索が開始されました。13世紀に入り、掘り進めていた井戸の1つから最初の岩塩の塊が偶然発見され、これにより採掘によって塩を得ることが可能になったのです。地下へと続く最初の坑道は、13世紀の後半から開削が始められています。12世紀末にポーランド王カジミエシュ2世がこの地に城塞を築き、14世紀に「大王」と呼ばれたカジミエシュ3世がヴィエリチカの採掘権を独占しました。岩塩の収益は当時のポーランド王国の財源の3分の1にもなり、その一部はポーランド最初の大学であるクラクフ大学設置に役立てられたとされています。1368年には製塩所条例が発布され、以後数十年にわたる岩塩坑の安定した発展につながりました。しかしながら、中世の岩塩採掘はまだ季節労働で、採掘は農作業が行われない月だけ行われていたため、15世紀の終わりまで、岩塩坑には4つの採掘坑道と1つの地下層しかありませんでした。その一方で、ヴィエリチカは観光地としても有名になっていました。記録に残る当時の観光客の一人は、ニコラウス・コペルニクスです。彼は1493年に岩塩坑を訪れており、この出来事を記念して、その名前が付けられた部屋には彼の塩の像が設置されています。
オーストリア支配時代に近代化と観光化が進む
16~18世紀に入ると、岩塩坑は通年労働へと移行し、坑夫だけでなく測量士や製図士など、多くの専門技術者が働く場所になりました。この当時、最初の地下地図が作成されています。16世紀には地下1層での岩塩の生産が始まり、17次世紀の半ばには3層に達しました。1772年、隣接する3つの大国である、ロシア、オーストリア、プロイセンによる最初のポーランド分割が起こりました。これにより国境線が引き直され、ヴィエリチカのあるガリシア地方はオーストリアのハプスブルク君主国の統治下に入ったのです。オーストリア支配下でも岩塩坑は発展を続けました。火薬を使用した岩塩の採掘が開始され、地下に鉄道が敷設され、蒸気機関による巻上機や発電所が稼働し、近代的な製塩所で塩の生産が始まったのです。また、この時期は観光も重要な収入源でした。観光客を増やすために多くの投資が行われ、1868年以降、坑道の一部は馬車鉄道で見学できるようになり、ロープを使用して地下坑内へ降下が体験できるアトラクションや、塩水湖での遊覧ボート、坑道内でのオーケストラ演奏などが行われていたのです。第一次世界大戦の終結とポーランドの独立回復によって、岩塩坑は再びポーランドが領有する場所になりました。当時、坑道や採掘場の名前が象徴的に変更され、オーストリア統治時代の名残であった「皇后エリザベートの礼拝堂」は「聖キンガの礼拝堂」へと改名されました。20世紀初頭、塩の生産とその貿易は非常に収益性の高い産業であり、最盛期の年間生産量は20万3,000tにも達しています。最終的に、岩塩坑は最大深度327m、地下9層にまで及ぶ大規模なものへと成長しました。
守護聖人を祀るために岩塩を彫った地下礼拝堂
ヴィエリチカ岩塩坑は、7世紀以上の歳月をかけて築かれた地下坑道です。かつて暗い坑道の中には多くの危険が潜んでいたことから、坑夫たちは十字架を立て、守護聖人に捧げる礼拝堂を建立していきました。現在、坑内には40以上の宗教的建造物が残されています。「聖アントニウスの礼拝堂」は、17世紀に彫られた、ヴィエリチカ坑道に現存する最も古い礼拝堂です。坑夫の守護聖人である聖アントニウスに捧げられたこの礼拝堂は、坑夫たちが作業を始める前に祈りを捧げられるよう、労働者たちが地下へ降りるために使用していた坑道の近くに位置しています。さらに、地下101mに位置する「聖キンガの礼拝堂」は、ヴィエリチカ岩塩坑の中で最も美しく、最も大規模な地下聖堂です。床のタイルや天井のシャンデリア、壁のレリーフにいたるまですべて岩塩を彫って作られています。ハンガリー王女であったキンガは、13世紀にポーランドへ嫁ぎ、ヴィエリチカに岩塩をもたらしたという伝説を持つ守護聖人です。伝説によると、彼女がハンガリーの塩鉱山に投げ入れた婚約指輪が、ヴィエリチカで最初に発見された岩塩の塊の中から見つかったとされています。第一次世界大戦後に「皇后エリザベートの礼拝堂」から、現在の「聖キンガの礼拝堂」へと改名された背景には、ポーランドの独立回復とともに、この地の守護聖人の名前を冠するという象徴的な意味がありました。礼拝堂の岩塩の壁面には、労働者によって「最後の晩餐」の模写などが緻密なレリーフで彫刻されています。

執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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