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アーグラ城
Agra Fort
アランフエスの文化的景観
Aranjuez Cultural Landscape
頤和園:北京の夏の離宮と皇帝庭園
Summer Palace, an Imperial Garden in Beijing
北京の中心部から北西約15kmに位置する頤和園は、敷地総面積約290万㎡を誇り、中国に現存する最大かつ最後に建造された皇室庭園です。12世紀半ばに、金王朝時代に建造された小規模な離宮を前身とし、1750年に清の乾隆帝が広大な庭園へと整備して清漪園(せいいえん)と名付けられました。中国の名だたる庭園や名景、有名建築の精華を取り入れたものとなりました。自然景観を模倣した庭園は、建物や楼閣、橋などと見事に調和し、中国だけでなく、日本や朝鮮半島の庭園にも大きな影響を及ぼしました。第二次アヘン戦争で北京に侵攻した英仏連合軍により庭園は破壊されてしまいますが、その30年後の1886年、西太后が海軍の経費を流用して復元し、頤和園と改称しました。
ヴィルヘルムスヘーエ丘陵公園
Bergpark Wilhelmshöhe
ヴェルサイユ宮殿と庭園
Palace and Park of Versailles
ヴュルツブルクの司教館と庭園群
Würzburg Residence with the Court Gardens and Residence Square
ドイツ南部に位置する豪華なヴュルツブルクの司教館は、ヨハン・フィリップ・フランツおよびフリードリヒ・カール・フォン・シェーンボルンという2代の司教の庇護のもと、18世紀に国際的な建築家、画家、彫刻家、漆喰職人によって建設・装飾されました。宮殿は、当時の司教侯たちの華美な生活を証明し、18世紀ヨーロッパ屈指の宮廷の歴史的背景を反映しています。当時の著名な建築家たちが設計を手掛けました。ウィーンのルーカス・フォン・ヒルデブラント、パリのロベール・ド・コットとジェルマン・ボフランが計画を立案し、それを司教侯の公式建築家バルタザール・ノイマンが監督しました。さらに、マインツ選帝侯の建築家マクシミリアン・フォン・ヴェルシュが支援し、彫刻家や漆喰職人はイタリア、フランドル、ミュンヘンから集まりました。ヴェネツィアの画家ジョヴァンニ・バティスタ・ティエポロは階段と帝国の間の壁にフレスコ画を描きました。この宮殿は18世紀の封建時代における宮廷文化の壮麗さを物語るとともに、現在では歴史的建築物として現代的に活用・保存されていることを示す貴重な例となっています。
王立展示館とカールトン庭園
Royal Exhibition Building and Carlton Gardens
カゼルタの18世紀の王宮と庭園、ヴァンヴィテッリの水道橋、サン・レウチョの関連遺産
18th-Century Royal Palace at Caserta with the Park, the Aqueduct of Vanvitelli, and the San Leucio Complex
グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区
Alhambra, Generalife and Albayzín, Granada
アンダルシア地方グラナダに位置するアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、アルバイシン地区は、かつてのイスラム王朝時代の宮殿都市としての面影を残す遺構です。1232年、住民から招かれたイスラム勢力ナスル族のムハンマド1世によって、この地にグラナダ王国(ナスル朝)が興りました。当時は8世紀から続くレコンキスタ(国土回復運動)の最中にあり、周辺には小さなイスラム教国が残るのみでした。ナスル朝は、キリスト教勢力の大国カスティーリャ王国の封建的家臣として従うことで領土を守ってきました。しかし、14世紀半ばにヨーロッパでおきたペスト大流行や、キリスト教国同士の争いで滞っていたレコンキスタの最熱などにより、1479年に強大なスペイン王国が成立します。これに伴って、グラナダは1492年に陥落しレコンキスタは完結を迎えました。
クロムニェジーシュの庭園と宮殿
Gardens and Castle at Kroměříž
杭州にある西湖の文化的景観
West Lake Cultural Landscape of Hangzhou
古都京都の文化財
Historic Monuments of Ancient Kyoto (Kyoto, Uji and Otsu Cities)
古都奈良の文化財
Historic Monuments of Ancient Nara
ゴレスタン宮殿
Golestan Palace
シーギリヤの古代都市
Ancient City of Sigiriya
スリランカ中部にそびえる『シーギリヤの古代都市』は、高さ約200mもある巨大な岩山の宮殿跡です。5世紀後半、シンハラ王国のカッサパ1世という王によって、岩山の頂上に都が築かれました。彼は王である父ダートゥセナを殺し、正当な継承者だった弟モッガラーナを追放して王に即位しました。その後罪の意識に苛まれ、復讐を恐れたカッサパ1世は、父を供養し、かつ弟の報復から身を守るために、父が構想していた城砦の建設に着手しました。カッサパ1世は人が簡単には登れない岩山の上に、宮殿や庭園、貯水池などを含んだ要塞都市をつくり、自らの安全を確保しました。わずか十数年この場所で暮らしましたが、最後は弟に敗れて命を絶ちます。短い歴史を持つ都ながら、その劇的な背景と大胆な建造物は、現代の私たちにも強い印象を残しています。
シェーンブルン宮殿と庭園
Palace and Gardens of Schönbrunn
シャーロットヴィルのモンティチェロとヴァージニア大学
Monticello and the University of Virginia in Charlottesville
アメリカ独立宣言の起草者であり、合衆国第3代大統領であるトマス・ジェファソン(1743〜1826)は、新古典主義建築に秀でた才能を有する建築家でもありました。彼は、自身のプランテーションであるモンティチェロと、その約8km北西に位置するシャーロットヴィルにヴァージニア大学を設計しました。ヴァージニア大学は、ジェファソンが理想とした教育理念を実現するために創設されたもので、独特のU字型平面プランを特徴としています。中心にはロタンダが据えられ、南側にはパビリオン、ホテル、学生用の居室、庭園などが整然と配置されています。これらの建築群は、自然環境との調和、機能主義と象徴主義の融合を通じて、新古典主義建築の優れたかつ個性的な例といえます。古典および当時の建築様式を綿密に研究した成果が随所に表れており、ジェファソンが描いた新しいアメリカ合衆国の理想像を色濃く反映しています。
シュヴェリーンの邸宅群
Schwerin Residence Ensemble
『シュヴェリーンの邸宅群』は、ドイツ北東部のメクレンブルク=フォアポンメルン州にあるシュヴェリーン湖など複数の湖のほとりに築かれた建物や公園、庭園で構成されています。1815年に公国から昇格したメクレンブルク・シュヴェリーン大公国は、首都をシュヴェリーンに定め、1843年から大公宮殿や庭園を中心とする大規模な都市整備を行いました。建築様式は新古典主義、ネオ・バロック、ネオ・ルネッサンスなど、当時プロイセンとドイツ諸王国・侯国で流行していた歴史主義様式が幅広く取り入れられており、なかには地域特有のネオ・ルネッサンス「ヨハン・アルブレヒト様式」も見られます。大公宮殿、荘園、文化・宗教建築、ファッフェンタイヒ装飾湖など38の要素からなり、首都として求められる行政、防衛、サービスインフラ、交通、威信、文化活動のすべての機能を備えた公共空間が整備されていました。19世紀のヨーロッパにおけるロマン主義的な趣味を体現するものであり、歴史主義様式の発展を示す代表的な事例と言えます。
ジョグジャカルタの世界観を表す軸線と歴史的建造物群
The Cosmological Axis of Yogyakarta and its Historic Landmarks
シントラの文化的景観
Cultural Landscape of Sintra
スクーグスシルコゴーデンの森林墓地
Skogskyrkogården
蘇州の園林
Classical Gardens of Suzhou
タージ・マハル
Taj Mahal
近世のインドを支配したムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーンは、戦地に帯同していた際に産褥熱で亡くなった愛妃ムムターズ・マハルのために、古都アーグラに霊廟を建設しました。ムムターズ・マハルという名は「宮廷の光」という意味で、皇帝が美しい妃に贈った名です。建設は1631年に始まり、1648年に完成しました。ガンジス川の支流のひとつヤムナー川の南岸、広さ17万㎡の長方形の敷地に完成した霊廟は、総白大理石の壮大なもので、高さ5.5mの基壇の上に幅65m・高さ58mの八角形の廟本体があり、四隅には高さ43mの4本のミナレットが立っています。また、廟をはさんで両側に赤砂岩造りのモスク(西側)と集会所(東側)が建てられており、その赤砂岩の赤、空の青さ、前庭の芝生や植物の緑の中に真っ白な廟が美しく映え、その色のコントラストはまさにコーランの「天上世界」を思わせるものです。
昌徳宮
Changdeokgung Palace Complex
ティヴォリのエステ家別荘
Villa d'Este, Tivoli
イタリア中部、ローマ郊外にある街ティヴォリは、ローマの貴族の別荘地として名高い場所でした。北イタリアの有力な貴族であったエステ家の出身である枢機卿イッポリート・デステは、1550年にティヴォリ総督に任命された際に、新しい地位にふさわしい宮殿の建設を計画しました。ベネディクト会の修道院だった建物を住居として改装して、その周囲に大規模な庭園を造らせました。別荘全体の総面積は4万5000㎡に及び、革新的な設計はナポリの建築家ピッロ・リゴーリオが担当しました。丘を削って二つの斜面をつくり、水道橋や地下運河を築いて、近くを流れるアニエーネ川からの豊富な水を確保し、500以上の噴水を持つ庭園を築き、ルネサンス庭園の代表作となりました。
ティエベレの王宮
Royal Court of Tiébélé
ディヤルバクル要塞とヘヴセル庭園群の文化的景観
Diyarbakır Fortress and Hevsel Gardens Cultural Landscape
『ディヤルバクル要塞とヘヴセル庭園群の文化的景観』は、トルコ南東部、ティグリス川上流域にある城塞都市と庭園、そして川や周辺の自然を含めた文化的景観です。ディヤルバクルの町は、全長約5,800mという非常に大きな城壁に囲まれており、数多くの塔や門が築かれています。この都市は、ヘレニズム時代、ローマ時代、ササン朝ペルシア時代、ビザンツ時代、イスラム時代、オスマン時代と、さまざまな時代を通して地域の中心地として重要な役割を果たしてきました。城壁が壊されても修理が行われるなど、何度も造り直されてきた痕跡からも、長い歴史の積み重ねを知ることができます。さらに、城壁だけでなく、その内側には「イチカレ(内部)」と呼ばれる中枢部分があります。イチカレは町の中心として政治や防衛の役割を果たし、都市全体を支えてきました。また、市街地とティグリス川の間に広がるヘヴセル庭園は、川の恵みを受ける農耕地として整えられ、人々の暮らしに必要な食料や水を得る場となってきました。城塞、庭園、川、橋が一体となったこの景観は、自然と人間の暮らしが深く結びついてきたことを今に伝える貴重な証拠です。
デッサウ・ヴェルリッツの庭園王国
Garden Kingdom of Dessau-Wörlitz
デリーのフマユーン廟
Humayun's Tomb, Delhi
天壇:北京の皇帝祭壇
Temple of Heaven: an Imperial Sacrificial Altar in Beijing