石灰岩を重ねた白い壁と特徴的な円錐型の屋根の住宅が立ち並ぶ
about
石積みの円錐屋根が特徴の伝統的住居
アルベロベッロは、イタリア南部プーリア州に位置し、円錐形の屋根を持つ石造りの家「トゥルッリ」で知られています。これは、1つの部屋に1つの石積みの屋根がついた「トゥルッロ」がいくつか集まって、部屋の数だけ屋根をもった一軒の家「トゥルッリ」と呼ばれるようになったものです。これらの建物は、石灰岩を積み上げて造られた伝統的な住居であり、乾式石積み(モルタル不使用)の技術を用いています。現在は、アルベロベッロの旧市街にある2つの地区「アイア・ピッコラ」と「リオーネ・モンティ」に、1,500以上ものトゥルッリがあり、多くの人が住む現役の住居建築として、地域に根付いています。
アクセス
最寄りの主要都市バーリから列車やバスで1~2時間ほど。駅から観光エリアまでは徒歩約10分。
執筆協力者PROFILE
NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
Properties
Casa d'Amore
カーサ・ダモーレは、アルベロベッロで初めてモルタルを用いて建てられた建造物です。かつてアルベロベッロでは、家屋に応じて税金が課されていたため、領主は恒久的な建物の建設を禁じ、すぐに解体できる建物を建てることで課税から逃れようとしていました。そのため、建物はモルタルを使わず、石を積み上げるだけの「乾式石積み(ドライストーン工法)」で建てられていました。1797年、ブルボン家のナポリ国王フェルディナンド4世によって、アルベロベッロが王立都市として認められると、フランチェスコ・ダモーレという人物が初めてモルタルを用いて家を建てました。カーサ・ダモーレの壁に刻まれたラテン語の碑文には、「王の許可によって最初に建てられた建物」と記されています。これ以降、トゥルッリやその他の建物は、この地域特有の赤土を混ぜて作られた「マルタ」と呼ばれるモルタルを使用して建てられるようになったのです。カーサ・ダモーレは、アルベロベッロにおける封建的な支配からの転換を象徴する建物です。
Piazza del Mercato
西暦1000年頃のアルベロベッロは、農村集落が点在する場所でした。これらの集落は少しずつ発展し、のちにアイア・ピッコラ地区とリオーネ・モンティ地区の2つの主要な地区を形成しました。この2つの地区を結ぶ場所に位置していたのが「メルカート広場(市場広場)」です。この場所は、「エルベ広場(野菜広場)」とも呼ばれ、住民たちの生活の中心地としての役割を果たしていました。現在は、1797年5月27日にブルボン朝のナポリ王フェルディナンド4世から王立都市の地位を与えられ、アルベロベッロが封建制度の支配を脱して自由を勝ち取ることができたことを記念して、「5月27日広場」と呼ばれています。
Museum of the Territory - Doctor Giacomo Pezzolla's house / Museo del Territorio Casa Dottor Giacomo Giuseppe Pezzolla
「カーサ・ペッツォッラ領土博物館」の名前は、18世紀後半にアラゴン家のアクアヴィーヴァ伯爵の主治医を務めた、医師ジャコモ・ペッツォッラに由来しています。かつてペッツォッラの邸宅だったこの建物は、2つの部分で構成されています。ひとつは、正面部分が縦に細長く、上部に四角い飾り屋根を持つ、2階建ての比較的新しい建物です。もうひとつは、15棟の伝統的なトゥルッリが連なる最も古い部分です。博物館の展示からは、アルベロベッロの歴史をはじめ、主な農業生産活動、建築技術、そして住民の日常生活について学ぶことができます。
Trullo Sovrano
「トゥルッロの王様」という意味を持つ「トゥルッロ・ソヴラーノ」は、アルベロベッロの北部に位置し、街の中心的な存在であるサンティ・メディチ・コスマ・エ・ダミアーノ教会のすぐ裏手にあります。この建物は1797年頃、カタルド・ペルタ司祭の家族によって建てられ、当初は「コルテ・パパ・カタルド」と呼ばれていました。内部に石造りの階段がある唯一の2階建てトゥルッロであり、モルタルを使って建てられた最初期のトゥルッロのひとつでもあります。12個の円錐形の屋根が集まるその中心に、高さ約14mの円錐形主ドームがそびえ立ち、その圧倒的な大きさから「トゥルッロ・ソヴラーノ」と呼ばれるようになりました。
Aja Piccola Quarter / Rione Aja Piccola
アルベロベッロの南東の斜面に位置する「アイア・ピッコラ地区」は、「小さな脱穀場」という意味を持つ場所です。その名前は、かつてこの場所に収穫した作物を脱穀するための小さな共同広場があり、そこが「十分の一税」と呼ばれる収穫税を徴収する場所として使われていたことに由来します。現在、590棟のトゥルッリが残るこの地区は、アルベロベッロの中で最も落ち着いた雰囲気を残す場所として知られています。今も多くの人々が暮らしていて、昔ながらの静かな生活を感じることができます。
Rione Monti
アルベロベッロの街の南側に位置する「リオーネ・モンティ(モンティ地区)」は、円錐形の屋根を持つトゥルッリが多く集まり、この街で最も特徴的な景観を見られる場所です。16世紀半ば、この地区には40棟ほどのトゥルッリがあるのみでした。しかし、1620年に当時の伯爵ジャン・ジローラモ・グエルチョがパン屋や製粉所、宿屋の建設を命じたことで集落が拡大し始め、18世紀末には3,500人以上が暮らす集落へと発展したのです。かつては「プリンチペ・ディ・ピエモンテ(ピエモンテ皇太子)地区」と呼ばれていましたが、1920年代初頭のファシスト政権下に現在の名称へと変更されました。「モンティ」とはイタリア語で「山々」を意味し、この地区にあるすべての通りに、第一次世界大戦でイタリア軍が激戦を繰り広げた山の名前が付けられていることに由来しています。現在、この地区に残る1,030棟のトゥルッリが住宅としての利用されることは少なくなり、その多くがお土産店や飲食店など、観光客向けの施設になっています。
アクセス
最寄りの主要都市バーリから列車やバスで1~2時間ほど。駅から観光エリアまでは徒歩約10分。
執筆協力者PROFILE
NPO法人世界遺産アカデミー認定講師/世界遺産検定マイスター
福島県出身。世界遺産や絶景、離島などを求め、国内に留まらず70カ国以上を旅するほどの旅好き。普段は上場企業の会社員として働きながらトラベルライターや小笠原諸島のアンバサダーなど、世界遺産や旅を軸に多岐にわたり活動を行っている。
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