多くのモスクやミナレットが建設され「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれたカイロ
about
「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれたイスラム都市
現在のエジプトの首都カイロは、7世紀にアラビアから攻めてきたイスラム・アラブ軍の軍事拠点フスタートを起源とします。10世紀の中頃にファーティマ朝がここに新都市を建設し、そこを「勝利者の都市(ミスル・アル・カーヒラ)」と名づけました。カーヒラの英語読みが「カイロ」です。その後交易等で発展し、政治・経済の面だけでなく、イスラム教の学問と芸術の中心地となりました。13世紀のマムルーク朝の時代にはさらに発展をとげ、町中にモスクやミナレットが建設され「1,000のミナレットが立つ街」と呼ばれました。
アクセス
カイロまでは日本からエジプト航空の直行便がある。またカタール航空やエミレーツ航空の乗継便もある。イスラム地区(歴史地区)までは地下鉄またはタクシーで行ける。
執筆協力者PROFILE
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
Details
‘Amr ibn al-‘As Mosque
アラビア半島から進攻してきたイスラム軍の総司令官アムル・イブン・アル・アースは、640年、現在のオールド・カイロ地区付近に、アフリカでの軍事拠点としてフスタートを建設しました。アムル・イブン・アル・アースは、預言者ムハンマドに直接会ったイスラム教徒(教友、サハーバとも)の一人とされる人物です。641年(642年とも)、彼はフスタートに自らの名を冠したモスクを建立しました。これはアフリカ大陸で最初のモスクとされます。当初のモスクは、日干しレンガやヤシ材を用いた簡素で小規模な建築であったと考えられています。
Ahmad Ibn Tulun Mosque
アッバース朝よりエジプト総督に任じられたアフマド・イブン・トゥールーンは、軍隊を率いてエジプト入りした後、単に総督としての地位に飽き足らずに、一種の独立政権(トゥールーン朝)を確立しました。そして、それまでのフスタートの町が人口の増加で手狭になってきたのを機会に、その北東に新たにアル・カターイーの町を建設し、行政の首都としました。879年、アル・カターイーの主要な集会モスクとして建設されたのが、「イブン・トゥールーンのモスク」です。モスク本体は123m×140mの規模、中庭は90㎡の正方形で、四方を列柱アーチ式の回廊が囲んでいます。当時としては先端の建築技術で建設されたようですが、様式としては、中庭を囲む回廊や外階段のついたミナレットなど、メディナの「預言者のモスク」以来の古典的建築様式を踏襲しており、イブン・トゥールーンが若い頃滞在したアッバース朝の首都サーマッラーの大モスクの影響も色濃く現れています。
Mosque and Madrasa of Sultan Hasan
カイロの「イスラム地区」と呼ばれる旧市街で、サラディンの城塞(シダデル)の手前にある巨大な建造物です。14世紀にマムルーク朝のスルタンであったナースィル・ハサンが建設し、1363年に完成しました。その巨大さは、高さ55mのドームや、カイロで最大のミナレット(高さ80m)を見ればよくわかります。一説には、建材にギザのピラミッドの表面を覆っていた化粧石板が使われたと言われています。また、その規模だけでなく、繊細な内部装飾や黄金で飾られたミフラーブなど、イスラム芸術の粋を集めた美しさで見どころ満載です。しかし、この建物の完成の直前にスルタン・ハサンは暗殺されてしまい、彼はこの壮麗な建物の完成を見ることはできませんでした。彼の棺もここに納められています。
Al-Azhar Mosque
972年、ファーティマ朝時代に建設されたモスクです。当初は質素なデザインで、中庭と列柱を多用した当時の典型的なモスクでしたが、その後の統治者により拡張工事が行われ、現在の規模となりました。カイロは、ファーティマ朝によってイスラム勢力の政治・経済・宗教の中心地へと発展していき、アズハル・モスクもイスラム神学やイスラム法研究の拠点となりました。1171年にファーティマ朝がアイユーブ朝によって打倒されると、金曜モスクとしての地位を失いましたが、マムルーク朝支配下の1266年に、再びモスクでの説教が復活され、規模も拡大されました。その後のオスマン帝国の時代にも、大規模な拡張が行われ、各時代の様式が組み合わされ混在するという、カイロの豊かなイスラムの歴史を反映したモスクです。各ミナレットが少し不揃いなのも、各時代の寄進者によりバラバラに建てられてきたことが理由です。
Khan El-Khalili
ハーン・ハリーリは、カイロの「イスラム地区」の中央にある広大な市場バザールです。ここは14世紀から続く古い市場ですが、もともとは12世紀アイユーブ朝のサラディンにより開かれた交易の場で、その後マムルーク朝時代に隊商宿(キャラバンサライ)が多く建てられたことで広大な市場となりました。現在は衣類やスカーフ、パピルスの文書絵画、香水、香辛料、真鍮細工などを扱う商店が2,000以上も連なり、日々賑わいを見せています。中世の雰囲気を残す石畳や迷路のような路地が続き、歴史を感じさせます。
アクセス
カイロまでは日本からエジプト航空の直行便がある。またカタール航空やエミレーツ航空の乗継便もある。イスラム地区(歴史地区)までは地下鉄またはタクシーで行ける。
執筆協力者PROFILE
大東文化大学・フェリス女学院大学講師/NPO法人世界遺産アカデミー認定講師
早稲田大学卒業。損害保険会社勤務の傍ら世界遺産を勉強し、退職後いくつかの大学にて関連講座を担当。現在は大学講師と趣味の音楽(クラシック歌手)の二刀流。
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