構成資産DATA
中尊寺をしのぐといわれた伽藍遺構
毛越寺は、中尊寺と同じく、天台宗第3代座主・慈覚大師円仁が開山したと伝えられています。850(嘉祥3)年、東北を行脚していた円仁が白鹿に導かれてこの地に「嘉祥寺」を創建したことが毛越寺の始まりとされ、その後、奥州藤原氏の2代基衡から3代秀衡の時代にかけて多くの伽藍が造営されました。毛越寺の伽藍配置の東端が、金鶏山の山頂から南への直線上に位置することから、その境内設計は金鶏山の位置と密接な関係があったことが分かります。また毛越寺は、当時都で栄えた文化の影響を強く受けており、白河上皇が建立した法勝寺を模して造営されたとされています。最盛期には堂塔40、僧坊500以上を数え、その規模と華麗さは中尊寺をしのぐほどで「吾朝無双(我が国に並ぶものがない)」と称えられました。しかし奥州藤原氏の滅亡後、相次ぐ火災によって16世紀までにすべての建物が焼失してしまいます。現在は大泉が池を中心とする浄土庭園と、平安時代の伽藍遺構がほぼ完全な状態で残され、往時の姿を現代に伝えています。1989(平成元)年には、平安様式の新本堂が建立されました。

「大泉が池」を中心に極楽浄土を表現した庭園
毛越寺では、北に「塔山」と呼ばれる小山を背景に、広々とした浄土庭園が広がっています。平安時代の庭園書『作庭記』に記された技法に忠実に造られたもので、庭園の中心にある「大泉が池」は海岸のような洲浜、荒磯風の出島や立石、枯山水風の石組みなどによって自然景観を表現しています。池の北東岸には池に水を引き入れる遣水、南西岸には排水溝があり、緩やかに蛇行しながら池を東から西へと流れる自然の小川を模して造られた水流は、平安貴族の歌遊びである曲水の宴や儀式などに用いられました。大泉が池は東西約180m・南北約90mにおよび、池のほぼ中央には東西約70m・南北約30mの中島があります。池の周辺や中島にはすべて玉石が敷き詰められており、創建当初は南大門前から中島の南端へ17間(約31m)の反橋、金堂側から中島の北端へ10間(約18m)の斜橋が架けられていたと記録されています。現在も橋の一部が現存しており、橋の遺構としては日本最古のものとされています。
執筆協力者PROFILE
兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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兵庫県出身。中学3年生の夏休みの台湾ひとり旅をきっかけに、旅行先の歴史・景色・料理など、世界を知る魅力のとりこになる。「世界遺産を学習して見て感動して」をモットーに活動。全国通訳案内士の資格も有し、日本の魅力も発信している。
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